株式会社木村工業

木村 晃一

徹底した経営理念のもと、人を育て町を守る

水道から土木まで、暮らしの安心と安全を提供する会社
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株式会社木村工業 社長 木村 晃一のONLY STORY

2代目社長の決断


今も被害の爪痕が残る、2011年3月の東日本大震災。この時、東京都からの緊急要請を受けて、宮城県で復旧工事に励んだ企業がある。東京都大田区に社屋を構える株式会社木村工業だ。
1969年の創業以来、町のライフラインを守り、人々に安全な暮らしと安心を提供してきた。まさに縁の下の力持ちである。

木村工業の事業内容は、得意分野である水道工事を始め、土木、警備、公園やグラウンドの清掃・整備など大きく4つにまたがる。

「先代の頃は、主に大規模工事を受注していました。工事費の入金が1~1年半先のため、受注金額が高くても利益が薄く借り入れも多いなど、赤字の出る仕事の仕方をしていましたね」と振り返るのは、2007年に同社の2代目社長に就任した木村晃一さん。

リーマンショックのあおりを受け、会社の資金繰りが危機に陥ったのをきっかけに、これまでのやり方を改め、小規模工事の受注に主力を移したという。大規模工事に比べ、清算が早く、利益率も高かったこの工事への転換で、会社の危機をようやく乗り越えた過去を持つ。

朝礼なし、会議なしの旧体制を大改革


初代社長を父に持つ木村さんが会社を継いだ時に直面したのが、会社幹部たちの統一性、自主性の弱さだった。一人一人が別のことを考え、それでいて常に社長の指示を待っている。上の人間のこうした態度は、当然一般社員にも伝播していった。

「社員全員で一つの方向に向かうために、経営理念を作りました。
『共に育ち・共に活き・共に発展、安全を社会の安心に広げ、未来を創造していく木村工業』に向かって頑張ろうと決めたんです。この経営理念なくして、今のこの会社はありません」
と木村社長は強く想いを込める。

それまでの朝礼なし、会議なし、社長のトップダウンの指示のみで動いていた会社を、大きく改革することを決意した。大規模工事から小規模工事へ業務内容を変えただけでなく、経営理念を基にした社風の大改革、さらに経営不振を回復するための一部社屋の売買など、木村社長は次々とその手腕をふるっていった。

先代からの古参社員から反対の声があがることもあったが、改革の結果、同社が得たものは、総勢約80名の社員全員が生きた経営理念に寄り添い、お互いが学び合い高めていけるという新しいステージだった。

徹底した経営理念がもたらしたもの、実を伴った技能共育


こうして経営理念の定着を目指す木村社長の次の試みは、現場で役立つ技能共育だった。

「現在、社内で配管工を育成しようとしています。実際の水道管を擬似的に作り、年間約250~260時間を割いて研修に取り組みます。これまで、東京都が認定するスーパー配管工の認定を4名が取得し、指導共育にあたっています」と木村社長。

ともすると、絵に描いた餅になりがちな会社の理念を、実務まで具体的に落とし、きちんと業務に結び付けようと励む様子が伝わってくる。
そんな同社が最終的に目指すもの、それは「地域で人が“共に育つ”こと」だという。

「うちは人を育てている会社が、たまたま建設土木業をやっているだけ。仕事ありきの先代の頃とは異なり、それが私自身の生き方なんです。経営者の生き方は、会社自体の方向性につながります。私たち中小企業は、社員さんとの距離が近く、一人一人と大切に関係を築いています。そうした良い状態で、より一層地域に根ざした企業を目指していければと思っています」。

木村社長の熱い想いは、今後も地域のライフラインを手厚く支えていく原動力になっていくに違いない。


編集=勝野・山崎

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