株式会社fusion

田中 晃

人生は紆余曲折。たどり着いたのは未来を創ること

人間の本質に気付いた先に見えた世界
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株式会社fusion 社長 田中 晃氏のONLY STORY

美容師、スロプロ、ホスト!?異色の経歴を辿る

私は現在、株式会社fusion、そしてフュージョンネクスト株式会社の代表取締役を務めています。

しかし今回はfusionグループの活動内容よりも、私がどのようなことを経験してきたのか、
私が今どのような想いを抱いているのかということをお話したいと思います。

私は高校時代、副業ではありますが地元で芸能活動をしている父や、プロのミュージシャンとして活動している叔父の影響もあり、バンド活動をしていて、将来はプロミュージシャンを目指していました。

しかし、当たり前ですが、父からは「それだけはやるな」と猛反対をくらいました。

それでも納得できなかった私は、東京に行って美容師の専門学校に行くと言いつつ、バンド活動を続けることを企んでいたのですが、父は専門学校に行くくらいなら実際に働けと。
結局、通信で資格を取りつつ寮付きの美容室にぶち込まれたわけです。(笑)
そういった経緯で美容師になったものですから全くやる気も出ず、最悪の東京デビューでしたね。

ただ、社内コンテストで賞金10万という企画がありまして。お金に目が眩んでがむしゃらに頑張って行くうちに、24歳で店長を任されるまでになりました。
そこから美容室の運営についていろいろと真面目に研究していろいろな結果も出してきたのですが、26歳の時に上司とケンカしたことがきっかけでその美容室の会社を辞めることになります。

そこでフラフラとしていた私ですが、今度はパチスロで飯を食うことになります。俗にいう「スロプロ」です(笑)
朝から並び、夜にはデータをとり、美容師時代より高収入!九ヶ月で300万ほど稼ぎました(笑)
はたから見たら完全に破天荒だと思われるかもしれませんが、実はここで大事なことを学びました。

というのも、それまでは美容師として働いていましたが、頑張っても頑張らなくてもお給料はあまり変わりませんでした。
しかしスロットはお金を入れたら、増えて返ってくるか無くなるかですから。要するに投資と回収という考え方ですね。
この考え方が、実は後の経営感覚に影響を与えることになります。

さて、数ヶ月スロプロをしていた私ですが、そろそろ真面目に働こうと思った私は、そうだ、ホストになろうと。
思いつきのように見えるかもしれませんが、実はホストになりたいと思ったのにも理由があります。
というのも、ホストという職業は、究極の接客業じゃないかと考えがありまして。
一回の来店で100万円の支払いもあるような世界です。
接客業の中でも最もお金が動く業界ですよね。

そう思ってホストになった私ですが、想像以上に厳しい世界でした。
簡単に言うと、給料がマイナスになることもあるような世界だったんんです。
だからみんなでコンビニに行って袋ラーメンを食べたりして。その時に身にしみたのが一円の大切さですね。
一円を稼ぐのがどういうことかを学んだわけです。
その時の気持ちを忘れないために、今でも、常にズボンの右ポケットに小銭を入れておくようにしています。

美容師を辞めて、スロプロ、ホストを経験した私は、28歳の時に再び美容師になります。
紆余曲折あって、また店長を任されたりしていたのですが、そろそろまともな人間になってみようと。本気で美容師として成長しようと思いました。
最初に美容師になった時にも店長をしていましたし、ノウハウを持っていたのであとはトントン拍子でした。
そのお店が大ヒットしたんです。

雑誌にも大きく取り上げられるようになった私は、資生堂の外部講師として全国を、年間200本くらいセミナーを依頼されるようにもなりました。
現在の奥さんが以前勤めていたネイルサロンが上手く行っていなかった時に、僕がコンサルをしてお手伝いしたらグングン売上が伸びて行って。
他にも知り合いの美容室のコンサルのお手伝いなどをしていたら、それも上手くいっちゃったんですよ。

これはもう仕事にできるなと。
そう思って立ち上げたのが現在の株式会社fusionです。

以上がfusionを立ち上げるまでの経緯ですが、実は私の最大のターニングポイントはこの後にあるんです。
先に言ってしまうと、私は大失敗することになります。

人のために生きると願ってもないことが降ってくる

講師やコンサルの仕事をしつつ、まつげエクステの店舗を増やし、売上も右肩上がりに伸びたのですが、端的に言うと人がいなくなってしまったんですよ。

スタッフがみんな辞めていってしまった。

これまでの私のストーリーは特異なものですが、どれも頑張れば何とかなるという思いがあったわけです。
それをスタッフに押し付けて、「できないなら本気で頑張っていない」と叱っていたので、みんな息苦しかったんでしょうね。結局、銀座と五反田の店舗を2店舗も締めることになりました。
今でも思い出しますが、本当にその時は悔しかったですね。我が子を殺す気分でした。

このどん底のタイミングで、私の人生の最大のターニングポイントが訪れます。

後の恩師になるのですが、交流会で知り合った経営者の方から、とても熱心に、ある研修合宿に参加するよう誘われたんですよ。
毎月断っていたのですが、運命の日がおとずれました。
その日は39度の熱があって、「熱があるので行けない。」と最高の断り文句を言ったのですが、
「合宿に来たら治る」なんていうんですよ。(笑)
言ったなと。
じゃあ治してみろということで反発心でその合宿に参加しました。

その合宿がどのようなものだったのかは、残念ですがここで詳しく書くことはできません。
しかし一つだけ言えるのは、その合宿に参加したことで、40歳にして私は生まれ変わったということです。

これまでのお話は、すべてこの合宿に至るまでの序章だったと言えるくらい、私にとって大きなものだったのです。
それまで自分のことしか考えていなかった私が、人のために生きることを学んだんですよ。

その結果、今では潰れそうなスナックをボランティアで立て直したり、就活支援団体や、大学に招かれ講義をしたり、今までにない経験を沢山させていただく事になりました。

ここでは名前は言えませんが、世界の金融、経済、政治を知り尽くしている超有名な元政界の重鎮の先生にパートナーになってくれとの依頼も受け、ありがたく引き受けさせていただいております。

こんなこと昔の自分では考えられないことです。
とにかく、人のために生きる。
そうすると願ってもないことが降ってくる。
これが、今の僕の考えの元となり、自分の立っているステージがグングン上がりました。
自分の知らないことだからこそ、チャレンジしていこうと思えるようになったんです。

結局のところ、この考え方に行き着けたことが、私のこれまでの人生で最も大事なことだったと思います。

未来の経営者を作る、独立起業大学STAR GATES

人生のパラダイムシフトを経験した私は、今度は自分の経験を未来に伝えていきたいと思うようになりました。

何故なのか?

植物が虫に食われて、その虫が鳥に食べられてというように、地球上のあらゆるモノは歴史の中で循環しています。
人間も例外ではありません。
人間も、自分のためだけではなく未来のために生きていかなければならないんです。

そう考えると、今の日本人はやはりその意識が欠けているんだと思います。
当たり前のようにエアコンがあって、病院があって、大学にも行ける。

しかし、世界を見るとそれらが当たり前じゃない人の方が多いんですよ。
そのことを忘れて、自分のためだけに生きている人があまりにも多すぎます。

むしろ人のために、未来を創るために生きることが重要だと気付きました。
そのために私ができることは何かと考えると、やはりあのときの合宿が今の私の根底にあるんですよね。
未来を担う若者を成長させることこそが、日本、そして世界の良き未来を創ることになるんじゃないかと。

そんなことを考えていると、また、奇跡が降ってくるのです。
独立起業大学STAR GATESの運営にも携わることになり、最終的には事務局長になりました。
STAR GATESを一言でいうと、上場企業の社長、一流投資家など、日本を代表する有名な経営者たち、絶対に手が届かないような人たちと一緒にチームを作って仕事をし、学べるという他にはない唯一無二の素晴らしい経営者養成スクールです。
母体は全国に展開している学習塾なので、教育システムもしっかりとしているんです。
受け身ではなく、本気でコミットできる人を育てる機関です。


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