30歳までに社長に!チャレンジから生まれたハレノヒ

一生懸命な人にチャンスを与えられる会社に
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有限会社ハレノヒ・高野昌宏代表取締役のONLY STORY

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5年で飲食店の社長になることを決意

私の父は病気で、母は実家の福島県でクリーニング屋をやっていました。家にお金はあまりなかったけれど、母は大学に行かせるお金がないと言われたくなくて、母親のプライドにかけてどうにか東京の大学に行きました。
 
だから、東京で自分のやりたいことをやって、大学に行かせてくれた母親に親孝行できるようなことをしてあげたいという気持ちがずっと強くありました。
 
 でも、大学ではずっとお酒を飲んでいて、大学卒業した後も遊んでいて、フリーターみたいな感じで何もしていませんでした。
 
しかし、25歳の時に転機が訪れました。彼女にフラれたことがきっかけで、全部吹っ切れて、なんで東京に来たのかをもう一度思い出しました。自分は、東京で一肌脱いで、母親に孝行できるようなことをしたい。それを達成するなら、社長になるしかないと思いました。その時、30歳までに社長になってやると決意したんです。5年で社長になると決めたのでとにかく時間がなくて、そこで自分でお店をやるのに一番簡単なのが焼肉屋さんというイメージが勝手に私の中であり、焼肉屋をやろうと決めました。
 
焼肉屋さんをやる準備としてまずいろんな焼肉屋でアルバイトをし、そこで仕入先や技術やレシピを密かに真似しようとしていました。
 
社長をやると決めてから2年が経った27歳の時に、一番初めにバイトをした焼肉屋さんに行き、「店長をやらせてください!」とお願いしました。「あとは全部自分でやります!自分で売り上げます!」と宣言して、月30万くらいで店長をやらせてもらいました。その時は自信満々で何も怖くなかったんです。
 
店長の経験を経て31歳でやっと自分のお店をオープンすることになりました。しかし、実際やってみると色々ふわふわしちゃって、全部が怖くなってしまったんです。アルバイトの時とやっていることは同じなのに全部違うように見えて、3日くらい眠れない日もありました。前までは人のお金でやっていたけど、自分のお金でやるというのは全く違いました。
 
こんな風に自分のお店をオープンしたばかりの頃はとても大変でした。しかし、たくさんの苦労はありましたが、今思うと過去は過去でいろんなことがチャレンジできて楽しかったです。
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ファーストフードへの挑戦とお客様への想い

有限会社ハレノヒは中目黒と丸の内で「らんまん」という焼肉屋をやっています。らんまんの由来は、天真爛漫とかチャーミングなイメージが私の中であって、その時姓名判断が好きでらんまんという名前がちょうど良かったからです。ちなみに社名のハレノヒも姓名判断で画数を絞っていくつか候補を抜粋して、晴れてる日という縁起の良い名前がいいと思ってハレノヒに決めました。
 
焼肉屋をやっている中で、レバ刺しやユッケ刺しの食中毒の事件があったり、日本で初めて狂牛病があったり、やっぱり焼肉は怖いなというのがあって、ファーストフードも挑戦したいと思っていました。
 
色々考えて、ハンバーガーは結構ライバル会社が多いけど、唐揚げなら大きなライバル会社がいないと思いました。そして考えたのは、健康を気にしている人でも気兼ねなく食べられる、サラダを売りにした唐揚げ定食を販売する「らんまん食堂」という唐揚げ屋です。今のところ、国内に10店舗展開しています。
 
らんまん食堂を運営していく中で転機が訪れたのは、東日本大震災が起きたときです。実家が福島なので、昔のよく知っている場所が津波で流されたり、ショッキングなことがたくさんありました。その時私は、人のためにできることはなんだろうと考え、お肉とお米を使って、食べられない人に還元したいなと思いました。
 
そこで、650円で唐揚げとご飯とお味噌汁とサラダをとことん売りました。正直650円という金額は恵比寿の一等地の中ではしんどかったです。しかし、そこからお客さんが増え始めました。その時に、商売って売り手目線でやるとダメなんだなって、困っているお客さんの目線で物事を考えないと経営者になれないと気づきました。
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住宅街の八百屋さん100店舗を目指して

短期的な目標は、5年後に八百屋のフランチャイズを100店舗にすることです。
私は自分がそうしてきたように、いろんな人に自分でお店をやるチャンスを与えたいと思っているから、フランチャイズをやろうと思いました。
 
八百屋さんって駅前だけじゃなくて、住宅街にもあるから、お客さんに顔なじみができて、色々なコミュニティーができやすいですよね。住宅街だったら、自分のペースで仕事ができるから、好きな時に旅行に行って良いし、子供と遊ぶ時間もたくさん取れる。だから八百屋さんは経営者にとっていい環境だと思いました。だから、八百屋でフランチャイズ。こういう体制を作れるビジネスモデルを作って、100店舗にして、上場していきたいと思っています。
 
さらに、これからは海外に進出してどんどんチェーン店を作りたいと思っています。海外で日本の美味しいもの出して失敗することないですよね。
 
海外に進出するのは、リスクヘッジという意味もありますが、海外は楽しいからやりたいというのが大きいです。味の都、パリで評価をもらえたりしたら嬉しいじゃないですか。すでにシンガポールでお店をやっていますが、これからは2年後にはパリで、そのさらに3年後にはニューヨークでお店を出したいなと思っています。
 
 
最後に、社員を含め、自分のお金で立身出世をかけて一生懸命やる人になって欲しくて、そのような人にチャンスをあげられる会社にしたいです。
そして、飲食は毎日するものなので、皆の生活に入り込むような、そばにいるような会社にしていきたいです。



 
☆取材・記事作成・構成=工藤阿部、佐久間

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