秋山美樹は語る「築き上げてきたこの人脈と信頼は、もう私だけのものではない。」

株式会社デフィがモナコでのラグジュアリービジネスの先に見たものとは。
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株式会社デフィ

秋山 美樹

この社長とコンタクト
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世界の中でも指折りのお金持ちが東京ディズニーリゾートほどの土地に集まるモナコ。そこに、あらゆる富裕層の方々から愛されている日本人がいることをご存知ですか?


ひとたび彼女がパーティーを開けば各国の著名人や代表クラスのスポーツ選手などが集まり、世界3大F1レース「モナコGP」開催中にはチャーター船上でジュエリーショーを開催する。


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株式会社デフィ 代表取締役 秋山美樹



このようなお話をすると、「私たちとは住む世界が違う人なのね。」といった声が聞こえてきそうですね。しかし、実際にお会いした秋山氏はというと、飾らず、気取らず、まさに “ 自然体 ” といった印象。ラグジュアリーな仕事ぶり、生活ぶりからは想像できないほどの親しみやすさをも覚えました。


それは、なぜだと思いますか?

その訳は、お話を伺っているうちに明らかになりました。


私たちと秋山氏、確かに日頃見ている景色は違うかもしれませんが、故郷である日本を想い、日本のために生きていきたいという気持ちは、私たちと変わらなかったのです。


15歳で “覚悟” を知り、18歳で “世界” を知った秋山美樹

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秋山氏は、山梨県に生まれ、経営者の父と祖父を持つ家庭で育ちます。家業の呉服屋を継いだ長兄の背中を見ていた秋山氏の父は、西洋化に伴って急激に成長を続けていた繊維産業の中でニット製造会社を創業。ここで成功を収めると、現在のあらゆるビジネスの走りと言われるような事業を次々に立ち上げていったような人物でした。


そのような父の背中を見ていたからか、秋山氏もまた子供の頃から様々なことに挑戦していくエネルギッシュな性格だったといいます。



「祖父の代から続く呉服店を営む家に父は生まれて、お手伝いさんが家にいるような家庭で育ったそうです。いろんな人から愛されて育ったからでしょうか。子供の私から見てもわかるくらい自由な人でしたよ。


わかりやすく言うと、やりたいことがあればそれを貫くようなタイプの人です。



そう言う私自身も、子供の頃からやりたいことがあればすぐに挑戦していくような性格でした。ピアノに、お琴に、生け花に、様々な習い事に挑戦しましたね。


そのほとんどが途中で通わなくなってしまった中、唯一学び続けられたのは『英語』。それだけは、ずっと続きましたね。


もともと英語に興味を持ち始めたきっかけは、小学1年生の頃に見ていたテレビ。そこに、海外駐在員のお子さんが映っていて、その子たちがすらすらと英語を話すわけです。それが当時はすごく衝撃で、学校から帰ってくると英語を話す真似をしていたと後々母からも聞きました。



この時からでしょうか。『英語を話せるようになりたい』と強く思うようになったのは。」



しかしながら、当時父が立ち上げた事業はあまりに新しすぎたようで、その後軌道に乗ることはありませんでした。そうした中、母もまた複数の飲食店を経営しながら家庭を支えてくれていました。



「私は父のことをとても慕っていたんですが、やはり失敗すると周りの人はよく見ないですよね。そのことでは、母もかなり苦労したと思います。


その時、私は15歳。私も家族がお金のことで泣くのを目の当たりにし、『これは私がなんとかするしかない』と誓いました。



ただ、ここで母にもまた商売の才覚というのがありまして、それまで仕事をしたことがなかった人なのにもかかわらず、何軒か飲食店を経営し始めたんですよ。その頃の母の頑張りがなければ、私たち家族はこれまで生活してこれなかったかもしれません。


そうした中で、度胸の父と堅実の母という、『両親』であり『経営者』でもある2人の背中を見て学ぶことは多く、私自身も経営者になろうと思いました。」



わずか15歳にして覚悟を決めた秋山氏。18歳となり、「経営と英語を学ぶなら・・」と本場アメリカへの海外留学を決意します。その固い決意は、異国の地へ渡った後も揺らぐことはなかった。


「経営を専攻していた留学先の大学には、今ほどではないですが他の日本人の学生もいました。そこで、私はその日本人の学生にある言葉を伝えます。


『明日から私のことを村八分にしてほしい。』


周りの学生は驚いたと思いますが、私としては母が苦労してアメリカ留学をさせてくれたのを思うと、『きっちり英語を習得し、卒業証書も持ち帰らなければ』という気持ちがすごくあったんです。


実際には、日本人との付き合いは一切断ってチアリーダーもしながら外国人とだけ過ごしていたので、英語はすぐ喋れるようになりましたね。



少し余談ではありますが、当時通っていた留学先の大学はこれがまたすごいところでして。裕福な家に生まれた学生が多かったのか、入学式に自家用セスナ機で来るような子がいたんですよ。


友人宅に遊びに行っても、その友人が誕生日プレゼントをもらったというので見せてもらうと、いきなり馬が出てくるようなこともありました。


留学先で過ごしているとこういう出来事というのは珍しいことではなく、山梨県の故郷からいきなり米国へ足を踏み入れた私にとっては日本とアメリカのスケールの違いには驚くことばかりでしたね。


そういったことを目の当たりにして、はじめは日本の小ささを感じました。ただ、やはり海外で生活を送るにつれて改めて日本の良さがよくわかり、今となっては日本が好きだし日本を大事にしようと思っています。」


柔軟かつスケールの大きな世界基準の価値観を身につけた秋山氏は、卒業後に日本へ帰国。空前の好景気「バブル時代」が日本を取り巻く中、独立を目指してアメリカで身につけた英語を武器に外資企業を渡り歩くことに。


当時の日本では英語を使いこなせる人材というのはとても貴重で、秋山氏は一流外資企業のエグゼクティブ層の方々と接する機会に多く恵まれたといいます。そうした中で、さらなる経営に関する知恵と人脈を得ていった。


その中でも、秋山氏は常に独立や理想の生活を目指し、そのために勉強として会社員生活を送っていたといいます。


市場性を見極め、属人性を強みに変えた株式会社デフィのビジネススタイル

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1996年2月。

秋山氏は、株式会社デフィを設立します。



「起業するというのは決めていたのですが、最初は私に何ができるのかなと考えていたんです。そこで、私が最初の事業に選んだのはブライダル。


というのも、友人の結婚式に出席していて思ったんですよね。


『私が結婚式を挙げるなら、食事や場所、そのスタイルまでこだわりたい。』



とはいえ、私が結婚式をあげる時に私がやりたい結婚式をやってくれる業者はいなかった。そこで、日本ではまだ知られていなかったアメリカンスタイルの結婚式を自分でコーディネイトしたんです。


その後、それが今でいうブライダルコーディネーターという仕事になって、そのアメリカンスタイルの結婚式をプロデュースをしていました。当時は、まだその職業も言葉もない頃でしたね。」



ブライダル事業自体は軌道に乗っていたものの、秋山氏はこのままではさらなる事業の拡大は難しいと判断し、新たに宝飾事業への参入を決意します。


地元で評価を得ていた宝飾職人だった実弟の存在もあり、山梨県の地場産業である宝飾産業への参入も成功を収めます。それでも、また1つの限界を感じるように。



というのも、秋山氏のビジネススタイルは “秋山 美樹” という人物の信用と実績、そしてそのパワーでもって成り立っている属人的な要素が大きく、どうしても「秋山氏でなければ・・・」という部分が少なくなかったといいます。


そうすると、多くの社員を抱えるような企業とは違い、扱うことができる商材の数には限りがありますよね。薄利多売のビジネススタイルでは世界の広がりに限界がある。そのため、1つ1つの商材単価がさらに大きな商材を生かしたビジネスへと進化していかなければならなかったのです。


そうした時、世界はIT・インターネットの時代へ。



「この当時、インターネット業界の勢いは凄いものがありました。知人の中からはシリコンバレーに進出していく人も増えてきて、大きなお金が動いていくのも目の当たりにしていました。


それを見ていて、『これからの市場はこっち(IT・インターネット)に動くはずだ』と思いましたね。


それからは、私もシリコンバレーに行ったり投資サービス事業やIPOの支援を行ったりしながら必要とする友人同士の間を繋ぐようなことをしていました。まさに、これは株式会社デフィが今やっていることの原型と言えます。」



次々に場所を変え、事業を変えながらも成功を収め続けてきた秋山氏。ビジネスをする上で最も大切にしている感覚があるといいます。



「私は細かい商品の内容よりも、『市場性』を見ているんです。


私の父はニット産業で成功したわけですが、いつまでもは続かなかった。それは、市場が移り変わっていったからだと思っています。高額商品が売れるバブル景気の時代も、やはりずっと続くということはないと考えていました。



ビジネスをするのであれば、その時々のお金、そして市場の動きを見ておくべきでしょう。」



ブライダル事業、宝飾事業、そして投資サービス事業、IPO支援事業と次々に成功を収めた秋山氏は、当時目標としていた理想の生活、『3つのrich』を手に入れる。


Time rich  = 自由な時間

Money rich = 十分なお金

Friend rich  = 楽しい友


目指していたものを手に入れた秋山氏は、ビジネス界の第一線から身を引こうと考えます。この頃、テレビ番組や雑誌などのマスメディアにも多く出演。


そうした中で、ある大きな転機が訪れます。



「そろそろビジネスの第一線からは引退かな、と思った頃でした。


3・11 東日本大震災が起こったのは。


それまでITバブルの流れで上がってきていた景気がここを機に下がり始め、日本全体の雰囲気もすごく落ち込んでしまいましたよね。


私もできるだけの支援はさせて頂いたのですが、やはり個人でできることには限界があった。


この時、ビジネス界から引退しようかと思っていた私の中でもう一度スイッチが入る感じがしました。


まだ私にはやるべきことがある、と。」



そうして、気持ちを新たにさらなる飛躍を誓った秋山氏は、世界の中でも指折りの富豪・ビリオネアたちが集まるモナコへ。この地で秋山氏の個性は再び新たな人脈と信頼を集め、自らのビジネスもラグジュアリープロダクツを扱う現在のステージへと昇りつめていきます。


世界、そしてモナコで築き上げた人脈と信頼の力を日本へ。

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(秋山氏の横で笑顔を見せているのは、元レーシングドライバーでF1 ジョーダングランプリの創設者エディ・ジョーダン氏。その他、同じマンションに住むF1ドライバーやサッカー日本代表の本田圭佑氏らなどとも交友関係がある。)

モナコという地は東京ディズニーリゾート位の大きさしかないにもかかわらず、その地価は東京、NYを優に上回るほど。さらに、正式な居住者になるには何億円もの資金をプライベートバンクに預け、フリーズさせておけるだけの資産とその信頼の保障が必要なのだといいます。



そのため、モナコに住むことができる人はお金持ちと言われる中でも一握り。25,000人ほどとも言われています。



そのような地で秋山氏が展開するビジネスの中でも、富裕層向けの代理販売事業や人材マッチング事業について伺いました。



「まず、株式会社デフィが扱っているラグジュアリープロダクトというのは、生活するために必要なものではありません。その商品自体はあってもなくても困らないのだけど欲しい、といったいわゆる “贅沢品” ですね。


主にそのビジネスの拠点としているモナコでは、仕事と遊びが一緒になってる感じがします。同じマンションに住んでいるF1レーサーや富裕層の知り合いと交友を深める中で培った人脈が、全て仕事になるんですよ。


私は仕事をしようと思って人に会っているわけではないのですが、頼って頂けることが多いんですよね。例えば、ヨーロッパにいる知り合いがクルーザーを買いたい、プライベートジェットを買いたいといった時など。日本で何かをしたいというモナコの人やモナコに遊びに来た知り合いに人を紹介するようなこともあります。


シンプルにお話しすると、そのような形で周りにいる何かを売りたい人と買いたい人、もしくは人の紹介を求めている人とそれにふさわしい人をお繋ぎしているのが、私たちの事業ということですね。」



モナコという地でそうした事業を行う意味について、秋山氏はこう続けます。



「こういったビジネスは、実はお金儲けのためにやってもうまくいくものではありません。本当に信頼されている人脈の中でこそ成立するものです。このモナコという土地では、それに個人が持つ大きな資産や幅広い人脈が加わって、大きな影響力と規模を持ったビジネスになっていく。


こうしている今も、有名なホテルのラウンジではシャンパングラスを片手に雑談という名の商談が繰り広げられていると思いますよ。



モナコの人々から絶大な信頼を得ている秋山氏。今後は、ここまで積み上げてきた資産と信頼、そして人脈を活かして、日本のためにできること、そして “秋山 美樹” だからこそできることをやっていきたいと話してくださいました。



「これまでブライダル事業に始まり、宝飾事業、投資サービス事業、IPO支援事業、そして現在のラグジュアリーサービスとビジネスをしてきました。その中で培ってきた資産や人脈というもののおかげで、以前よりも今の私はいろんなことを実現できるようになってきました。


例えば、今も各国のプロジェクトのうち「ぜひ日本にも持ち込みたい!」という方々から力を貸してもらえないかと依頼されていたりもします。


そうした際、モナコのみなさんにとって私は日本の窓口のようなイメージで頼っていただけるようになりました。すごく嬉しいことですよね。



こうした人脈や信頼を手に、これからは日本のために何ができるかを考え、日本を元気にするために私だからこそできることをやっていきたいと考えています。


今ならば、自分のできることの小ささを感じたあの頃にはできなかったこともできると思えるんです。大切な両親や家族、友人たちがいて、私自身も生まれ育ったこの日本のために。




とはいえ、こんなお話をすると、すぐには信じてくださらない方もいるかもしれませんね。しかし、日本に帰国した頃、今のようなライフスタイルは私や周りの人にとって夢のまた夢のような話でした。それでも、こうして私はその夢を実現することができました。


これからも私は想いを言葉にし続け、それを実現していきたいと思っています。」


あなたが楽しんでいなければ、人を幸せにはできないの。

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ご自身が長年かけて築いてきた人脈や資産を、今こそ日本のために生かしたい。


そのような想いを実現するためには、秋山氏と想いを同じくして事業に取り組んでくださる新たな人材の力が必要なのだといいます。


学歴や資格は一切問わない。それよりも、一緒に働く人材に求めることとは・・・



「まず、私たちは学歴や資格はあまり重要視していません。それよりも大事なのは人間性であり、コミュニケーション能力ですね。


というのも、私たちのお客様は主に外国人の富裕層の方々なので、実践的な英語力が求められると同時にそうした方にも物怖じせずに接する事ができるコミュニケーション能力が必要不可欠なんです。


そのような方の中でも多少の間違いや失敗にめげず、前向きに取り組んでいただける方に巡り会えたらいいですね。



このようなお話をしていると、私たちが求める人材像というのは、もしかしたらいわゆる一般的に日本の企業様が求めるような人材像とは少し違うかもしれません。日本人の感覚でいうところの『型破りな人』の方が、私や株式会社デフィで働くスタイルに合うのではないかと感じています。



そういった方の中で、私自身や当社のビジョン、事業内容に興味を持ってくださる方がいましたら、ぜひ一度お会いしましょう。そして、一緒に楽しく、明るくビジネスをしていきましょう。


何よりも自分が楽しんでいなければ、人を幸せにはできませんからね。」



取材・秋田

執筆・山崎


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会社HP:https://www.defi-luxury.co.jp/

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