ニイガタ株式会社
渡辺 学
POSTED | 2018.09.30 Sun |
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TAGS | 従業員数:11〜30人 業種:製造業 創立:15年以上 決裁者の年齢:60代 商材:BtoB |
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主役は社員。より良い会社・職場を作るのは君たちだ!
ニイガタ発展の裏側に見る、安定・成長企業の秘訣とはTopics
今回お話を伺う渡辺氏が代表取締役社長を務めるニイガタ株式会社では、メーカー企業や大学と協力しながら主に実験装置及び治具の設計製作を行っている。非常に興味深いのは、その経営方法だ。
ニイガタ株式会社は、いわゆるトップダウン型の組織体制からの脱却を図り、着実に社員の自走力や自発性を育んできた。
「私が決めることは出来ますよ。でもね、そればっかりじゃいけない。そろそろ主役を交代して、社員にどんどん会社を引っ張っていってもらわないとね。」
そう語る渡辺氏の目は、期待と信頼に満ちたもののように見えた。その真意を探るため、まずは社員の働き方や職場の雰囲気についてお話を伺ってみる。
ニイガタ株式会社 代表取締役社長 渡辺 学氏のONLY STORY
主役は社員。生き生きと、自走しながら働く社員たち
ニイガタ株式会社のHPを訪れると、まず目に入る印象的なロゴマークがある。その原型を作ったのは、今の会社の形を築いてきた渡辺氏。その後、受け継がれる中で変化を遂げ、今あるロゴは最初に新卒で入社した社員が作ったものだという。
「一番最初のロゴは、もう少しこう角ばっていて…。今はもうどこにも残ってないんですけど、それは私がデザインしました。有限会社新潟彫刻からニイガタ株式会社になる時にね。
その後、一番最初に新卒を採用した年に入社してくれた社員が今のロゴを作ってくれました。彼はデザインの方の出身でね。その時は、『この経営理念を読んで、それに合うロゴを作ってくれ!』と私が無茶振りをしたんです(笑)
そうして、彼が必死になって作ってくれた。」
ロゴマークといえば、その会社を物語るシンボルマーク。その1人の社員が込めた想いとは…
「本当は彼が書いてくれたロゴの説明というか、込めた想いというのがしっかりとあるんですよ。
それを簡単に説明すると、まずロゴの丸い形は卵をイメージしている。その卵にヒビが入ってるように見えるでしょう。これは、私たちが新しいものを生み出していく会社であることを表現していて、ヒビが入って、卵が割れて、そこから新しい何かが生まれていくことをイメージしているんです。
それから、そのヒビの端っこに『ニイガタ』を英語表記した時の頭文字『i』がありますね。これは、人と人とが寄り添ってるように見えませんか?これも、私たちが大事にしている人と人との関係性を表している、と。
どうです?奥が深いでしょう。」
まるでご自身が作られたかのように、誇らしげに語る渡辺氏。その表情には、社員への信頼と期待、そして思いやりがにじみ出ているように感じられた。
「今はね、どんどんどんどん進化して、ニイガタ株式会社の形が変わってきているんですよ。社員同士の様々な会もそうですし、会社の基本計画の在り方までも社員たちが率先して動かしてくれている。きっかけは私が作るんですが、その後は社員たちが自走しながら動かしてくれるんです。」
実際に、ニイガタ株式会社では『ありがとうカード』という制度が社員たちによって運営されていると伺った。
「『ありがとうカード』は、1番最初に私が始めたのがもう6~7年前かな。
唐突ですけど、私ね、“ありがとう”ってよく言うんですよ。
まず、“ありがとう”って感謝の言葉じゃないですか。昔、自分が営業先に伺った際にお客様から感謝されると本当に嬉しくて。そうすると、また頑張ろうって思いますよね。
そういうコミュニケーションを社内にも増やそうと思って、まずは“ありがとう”という言葉がたくさん飛び交う環境を作るために『ありがとうカード』という制度をスタートさせました。
実際には、専用のカードを作って、そこに『◯◯さん、〜〜の時はありがとうございました。』と書いて渡します。一度社内イントラでそのやり取りを行うようになったんですが、やはりリアルにそのやり取りが見えてこないと効果がないな、と。
それで、もう一度やり取りが目に見えるようにやり方を変え、誰が、誰に、どのような“ありがとう”を伝えたか分かるようにしたんです。これも、社員が意見を出して改善していってくれた一例ですね。」
社長といえば、先頭を走りながら引っ張るようなイメージをお持ちの方が少なくないのではないだろうか。このようにして渡辺氏が社員の主体性を促し、活かすのには訳がある。
「中小企業によく見られるのが、社長が方向を示すとその方向にみんな歩いて行ってしまうような形。でもね、言われたことや指示されたことだけしていると仕事って楽しくないじゃないですか。そういう中で働いていると、当然雰囲気や姿勢などに出てきますよね。疲れた感じが…。
私は、社員のみんなには“子供が憧れるようなかっこいい大人になってほしい”と願っています。『父ちゃん、かっこいいね!』って言われたら嬉しいだろうし、そういう大人を近くで見て育った子供もまた仕事を楽しむような大人になっていくと思うんです。そうして、大人になったその子供が父親が働くニイガタ株式会社に入社してくれたらすごくいいな、と。
だから、ニイガタ株式会社の主役は私ではなく、社員。社員のみんなに、楽しみながら会社を作っていってほしいんです。そして、社員だけではなく、その家族も幸せにしたいと心から思っています。」
言葉になる前のアイディアを汲み取り、形にしてゆく。
ここまでは生き生きとした働き方、社風について伺ったが、普段ニイガタ株式会社が担っているお仕事はどういったものなのだろうか。改めて、渡辺氏に伺った。
「私たちは、主に実験装置及び治具の設計製作を行っています。具体的には、“研究者の方々の頭の中のイメージを引っ張り出して形にする仕事”と言ったら伝わりますかね?
まず、メーカーや大学といった研究を活発に行っている所に伺って、研究者の方々からお話を伺います。そして、私たちは彼らがイメージしているものをどのような材料で、どのようにして形にしようかと考え、ご提案をさせていただく。
そうすると、研究者の方々は本業に専念できるので、さらに素晴らしいものができていくという訳です。」
請け負う仕事の幅はとても広く、寄せられる信頼は厚い。
「私たちは研究者の方々がお使いになるアカデミックな言葉もしっかりと理解できるので、車、医療、宇宙…と様々な産業分野の研究者のお手伝いをさせていただいています。例えば、波力発電やガン治療といった専門分野にも携わらせていただいているんですよ。
しかしながら、私たちが請け負うこうしたお仕事というのは数年で形になるようなものではありません。何十年後かに実現するか、あるいは形になる前に研究や開発を中止せざるをえないこともある。そのような世界です。」
それでも、ニイガタ株式会社はこの領域で挑戦を続けていく。果たして、渡辺氏らを突き動かすものはなんなのだろうか。
「私たちは、自分たちの仕事をすごく意義のあるものだと思っています。
というのも、日本には地下資源がないでしょ。量産型の製造業もアジアの他の国が引っ張っていってる状況。そうした中で、日本は開発をして新しい物を生み出していかなければならないと思っているんです。
そうした時に、日本はやっぱり要素技術なんですよ。要素技術の物づくりの根っこになる開発が、日本は得意。ニイガタ株式会社としては、様々な関係者の叡智を集め、そこのお手伝いをしていくことで豊かな未来を作っていくことに貢献したいんです。
水がきれいで、空がきれいで、人が笑ってる。そんな豊かな未来のために。」
“どこにでもある町工場”から始まった、ニイガタの軌跡
とても壮大で意義の溢れるビジョンの一端を垣間見ることができたが、このニイガタ株式会社の原点というのはどこにあるのか。創業の経緯からお話を伺った。
「この会社の大元は、私の父親が作った会社なんです。創業は、1971年12月。その頃の創業期は、手動で動かす機械を使って工業彫刻業というのを営んでいました。いま思い返すと、よくある町工場といった感じで、完全な職人会社でしたね。」
当時はバブル時代の最中で、渡辺氏の父親といとこ、職人の3人で忙しい日々を切り盛りしていた。毎日出勤前にその光景を目にしていた渡辺氏は、おのずと自身の家業というものに心寄せるようになったという。
「私は、大学を出てからは静岡を拠点に事業を展開する広告代理店に就職。当時はアートディレクター、あるいはプロデューサーとして仕事をしていました。それが、ある時神奈川支店の配属になって、実家から仕事場へ通うようになったんです。
正直、その頃は海外で暮らしたいという想いもあったのだけど、毎日父親たちが働く姿を見る訳ですよ。忙しそうにしているのに、外から求職者が入ってくるものでもないし。次第に、“長男だしなあ…”という想いも募り始め、1992年にニイガタ株式会社の前身となる父親の会社に入りました。」
実際に入社してみると、現実は厳しいものだった。業界も陰りを見せ始めたことを察した渡辺氏は、悩みながらも現状を変えようと行動を起こす。
「まず、当時はまだ手動の少し古い機械を使っていたので、生産性を上げるために最新の機械を入れました。とはいえ、私も初めて触るような機械なので、触りながら見よう見まねで使い始めたといった感じですよ。
その時は、メーカーさんの次に商社、その次に加工屋さんと仕事が流れてきて、その次くらいに私たちというくらいで。ここも変えていって直接仕事を取りに行こうと思い、自力でリストアップした企業に1つ1つDMを送りました。
1つ1つ手作りしたこちらの気持ちが伝わってか、その返答率が結構あったんですよ。そこから少しずつ客筋が変わっていって、メーカーさんから直接仕事をいただけるようになったりご紹介から大学ともお仕事ができるようになっていったりしました。大学とお仕事をするようになってからは、卒業された方が勤めた会社やその紹介企業からお仕事をいただけるようにもなりましたね。」
着実に、一歩一歩会社をより良い形へと導いていく渡辺氏。やがて、加工業のみ行っていた当時の業態をも進化させようと動き始めた。ここに、今のニイガタ株式会社の原点が見えてくる。
「このまま加工業をずっとやっていくのではなく、もっと上流工程に関わっていきたいと考えました。
そのうち、大学の先生から、“じゃあこんなの作れない?”という風に相談をもらうようになりました。そこで、私はその聞いたことを漫画にしてもう一度見せに行く。そうすると、“そうそう、こういうのが作りたいんだよ!”となって。
そこからは、うちでできるプラスチックの部品は作って、それ以外の部品は私が自分で書いたマンガを片手に説明して、加工屋さんに作ってもらう。そして、最後にそれらを組み合わせて形にしていくということを始めたんです。まさに、これが今のニイガタ株式会社の原点です。」
はじめは父親といとこ、そして1人の職人とが営むどこにでもある町工場だった。そこから一歩一歩階段を登り続け、苦難を乗り越え、ここまできた…。ようやく、現在の事業内容の原点となるところまでたどり着いたのだ。
しかし、ニイガタ株式会社にはまだ足りないものがあった。それは、人。
「だんだんと仕事をいただけるようになっていったのだけど、当然1人でやっていたら手が回らなくなってきたんです。そこで、なんとか1人、2人、3人と入社してもらって、この時入社してくれた社員の中には現在常務、部長を任せている社員もいます。
しかし、そこからはなかなか人が増えなかった。
というのも、その頃のニイガタ株式会社には経営理念も単年度の基本計画もなかったんですよね。当時の私たちのようにこれからどこに向かっていくのか分からない会社に入社することは、例えるなら行き先不明のミステリーツアーに参加するようなもの。そんな会社に入りたいと思う人は、ほとんどいないでしょう。
言うならば、この頃がニイガタ株式会社の第二創業期ですね。」
その後、渡辺氏らが理念や計画をまとめ始めると、それを見て少しずつ社員が増え始め、同じ志を共有できる人が現れ始めた。いわゆる、第二創業期である。さらに、2016年に組織化へ大きく舵を切ったニイガタ株式会社は経営企画部を設ける。
これまでに無いほどの大きな転換に、時に社員たちは困惑するような表情を見せていたという。そうした中では、業績が振るわない時期も…。それでも会社と社員の未来・成長のために推し進めた組織化計画は、ようやく社員の間に浸透し始めた。
ここから、ニイガタ株式会社はさらなる成長を遂げていくことだろう。
未来を明るくする貴重な研究を論文だけで終わらせない
なぜ、渡辺氏らはここまで想いを込めて経営や仕事に打ち込めるのか。その理由を伺うと、最初に返ってきた言葉は思わぬものだった。
“正直、儲かりませんよ。私たちのやっていることは…”
それでも、渡辺氏らを突き動かすものはなんなのだろうか。
「私たちがやってることって、効率が良いか、いい商売か、と言ったら決してそうではないと思うんですよね。
ただただ、私たちはお客様のお役に立てて、“ニイガタに頼むと1言ったら10ぐらい理解してくれて物ができちゃうよ。” “本来自分たちが100時間割いてたものを、ニイガタに頼めばもっと短い期間で作ってきてくれるよ。”というように頼って頂けるようになりたいんです。
例えば、ひょっとしたら研究というのは机上の研究で終わってしまう可能性もある訳ですよね。そういったものを具現化して世の中に出していく事によって、何かものすごく明るい未来に結び付けられるんじゃないかと思うんです。そんなことが仕事にできたら、すごく夢があるし、いいじゃないですか。
私はそれがニイガタ株式会社のミッションだと思っていて、そこに共感してくれる社員たちは少し不器用なところはあるかもしれませんが、人一倍そこへの想いは強いものを持っています。
……しかし、ね…。」
それまで晴れやかな表情で話してくださっていた渡辺氏の顔が曇った。詳しく伺うと、こうしたビジョンを思い浮かべるたびにある懸念が頭をよぎるのだという。
「まだ日本の雰囲気として、アイディアに対してお金を払う感覚があまり無いんですよね。そのため、私たちの仕事というのは付加価値を示しにくいものになっている。そこを、私たちはちゃんと主張して、その対価をいただくというしっかりしたビジネスモデルを構築していきたいんです。
具体的には、今はものづくりに乗せて届けているのだけど、アイディアだけで売っても売れるっていうくらいにうちの価値を上げていこう、と。そうなったら、商売としても非常に面白い仕事になっていくと思うんです。」
一転、また晴れやかな表情を見せた渡辺氏はこう続けた。
「そうすると、例えばメーカーさんや大学の先生とかって、当たり前だけど皆さんすごくいいアイディアを持ってる人たちなんですよね。その中には、製品化できたら世の中にとってすごく良い影響を与えられるかもしれないというものもある。しかしながら、形にして、世の中に出していくというのはまた本当に難しいところで…。
そうした時に、ニイガタ株式会社としてはその形にするところに力をお貸しして、形にできれば特許をとる。そうすることで、しっかりとアイディアの価値を保護し、利益を生み出していくことができるじゃないですか。やがて、そうしたものが私たちの“知財”として生き続けていく。
そうやって、ゆくゆくは世界中から開発案件が集まってくるような会社になれたらいいですね!そんな風に成長できれば、きっと社員たちもニイガタ株式会社で働いていることをより誇りに思ってくれるようになれるかな。」
最後に、今後のニイガタ株式会社のあるべき姿について改めて伺った。
「この世界において、人間の行動というのは環境を破壊していくものなんですよね。私たちは、科学技術の力でそのような世界を調和させるというところに何か貢献したい。そのため、人間が住むこの環境を壊してしまう物には協力しないというのも決めています。
水がキレイで、空がキレイで、人々が笑っていて、それでいて事故が無い。そんな明るい未来を作るために、私たちは努力と進化を続けていきます。」
取材・執筆・編集=山崎