株式会社ユーズ

染谷 ゆみ

東京は油田である!

無いものは創ればいい。それは、ヒトにしかできないことだから。
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株式会社ユーズ 社長 染谷 ゆみ氏のONLY STORY

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「未来を見てしまったものは、行動するしかないんです。」


「なんで19歳でアジア放浪したか?
それは当時の日本が嫌だったことと、父の影響があるでしょうね。」

染谷社長は、江戸っ子口調で生き生きと語った。

染谷社長率いる株式会社ユーズは、東京中の使用済み食用油を収集してディーゼル車の燃料に使ったり、イベントの照明に使ったりする事業『TOKYO油田2017』プロジェクトを運営する。
株式会社ユーズの活動は、染谷社長の類まれなインスピレーションと、実家が代々受け継ぐ油屋から始まった。

「私は墨田区で生まれ育ちました。下町文化の残る街です。私の父はここ墨田区で、東京大空襲を経験しました。父はそこで、信じていた権威に裏切られる想い、ちょっとした選択の違いが生死を分けるという経験をしました。その経験からでしょうか、私の父は、“偉い人の言うことを鵜呑みにしてはいけない。自分で考えて、自分で決めなさい。”とよく言いましたね。」

そんな父の下、染谷社長は反発心も自主性もたっぷりの若者になった。
当時は1970年代。安保闘争やベトナム戦争などが象徴とされる時代。

「とにかく、特に子供や若者がイライラしていた印象がありましたね。情勢に振り回される大人に押さえつけられるのは、弱い立場の子供たちです。私の中学では、学校が違う生徒同士の大々的なケンカがよくありましたね。本当に漫画みたいな。校庭に、他行の連中が乗り込んでくるとか。押さえつけが激しい時代への反抗だったのでしょう。」

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そんな息苦しさに耐えかね、若き染谷社長は、19歳から2年にわたってアジア放浪へ旅立つ。

「とにかく、 “言葉にできない!”という世界でしたね。
“とりあえず行ってみてください!”と言いたいです(笑)」

香港へ降り立ち、チベットを超え、ヒマラヤ山脈を越え、カトマンズへ。
空気が薄く、鮮やかな青の空。日本とは全く違う世界が、そこにあった。
そこで、染谷社長は土砂災害を経験する。

「その時は国境を越えるために、知り合った日本人やフランス人とバスに乗ってたんですよ。快く、目的地が一緒のおじさんが運転してくれて。途中で私の行きたいところに着いたので、“じゃあね、ありがとう!”とバスを降りたんです。その時でしたね。ものすごい音がして、がけが崩れて、辺りが飲み込まれたんです。もし巻き込まれたら、死んでましたよ。」

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そのとき直感的に、“これが日本の30年後の未来なんだ。”と感じたという。

「そのあと、カトマンズの村にも滞在したんですが、現地の人が言っていた言葉がわすれられません。“この土砂災害は、天災じゃなく人災なんだ。”と。
例えば、昔は気候変動の影響がどんなものか、想像できなかったでしょう。でも今は、川の増水とか土砂災害が、昔なら起こらなかった地域で起こり、人が亡くなるほどです。家はもともと、川の増水や土砂が届かないところに建てられているものです。それでも被害に遭うということは、私たちの想像を超えた自然の変化が起き始めているということなのですよ。」

アジア放浪は、染谷社長の心に大きな衝撃を与え、“未来を見てしまった責任”も感じさせた。

「“TOKYO油田”はアートみたいなものです。」


「アジアから帰ってきてからも、ずっと“未来を見た責任”はつきまとっていました。ベンチャーの旅行会社の香港支店勤務を経て、私は環境保全をビジネスにする覚悟を決めました。当時は大量生産、大量廃棄の時代でした。しかし、そうした事実は直視されず、臭いものに蓋をする風潮がありました。バブル最盛期で、近所の町工場は働き手がなくどんどん潰れていきました。増してや環境ビジネスは、「金にならない」と言われました。世の中を良くすることは、ビジネスにならないと。私は「それは違う」と思ったんですね。「無いなら、創ればいい。」さて何から始めるべきか、と考えたとき、自分の家が丁度油屋だったな!と気づきました。

油屋は、使用済みの油を収集して再利用する職業。まずはその仕事からやってみようと、油まみれになって働きました。様々な飲食店を回って、使用済みの食用油を集めて回りました。

やはり現実は甘くなくて、周りの人々からの偏見も感じましたね。「女の人がこんな仕事をしてるなんて、何か事情があるからなんでしょう?」と言われることがよくありました。

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私たちは1992年に『TOKYO油田』という言葉を創ります。
97年には、バイオディーゼル燃料の開発に成功しました。

そう、TOKYO油田という“概念”が先に来たんですよ。バイオ燃料を開発したから、TOKYO油田というプロジェクトで使おうとしたわけではないのです。

『TOKYO油田』という新しい概念を“認識”してから、私たちはあっいう間にバイオ燃料を開発することができました。そして、東京のモールや飲食店へ集められた食用油を、バイオ燃料にして自動車を走らせるという形態もできあがりました。

概念に突き動かされて、具体的な仕組みが出来上がっていっているのです。
分かりやすく例えるなら、「コンビニ」という言葉があって初めて、“24時間営業で何でも売っているお店”が何なのか認知される、という感じです。

TOKYO油田を創り上げる過程はまるで、山を登っているかのよう。「苦しい、でも登ってやる!」という感じ。

頂上に何があるのか見てみたいと思うように、TOKYO油田の終わりが見たいのです。私たちは、これまでになかった環境ビジネスの概念を『TOKYO油田』と言い表し、最後まで作り上げ、環境問題を解決する方法の一つとして示そうとしています。

言葉は、人間だけのもの。どんな言葉を掲げるかによって、何を成し遂げるかが決まります。

TOKYO油田2017の最終回


実は今、段々とTOKYO油田の最終回が見えてきたんです。
みんなが、「TOKYO油田2017の最終回って、これなんだ!」と思えるような。
ヒマラヤや富士山の頂上に、旗が立てられそうな感覚です。

一番急なところを越えて、頂上の景色が見えそう!見てやる!という段階にいます。2020年のオリンピックでお披露目できると思いますね。

そしたら次は、世界に行きます。
今もすでに呼ばれているのですが、2017を発表したら一区切りしそうな気がします。

『油田』は舞台がどこでもできますから、シンガポール油田とか、中国へ行って北京油田とか、イタリアでミラノ油田とかも創りたいですね。
もちろん、規模も関係ないですから、日本で「国分寺油田」とかもできますよ。

私たちのモットーは「Think globally, Act locally」です。
元々は墨田区の油屋で始まったものが、世界的な広い視野で考え続けて今があります。
これは若者にも大切にしてほしいあり方ですし、私自身、これからもそうあろうと思いますね。


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