株式会社丸川商店
川名 信之
POSTED | 2017.05.17 Wed |
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TAGS | 従業員数:6~10人 業種:その他 創立:15年以上 決裁者の年齢:50代 商材:BtoB |
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水道・空調会社にとって最後の駆け込み寺へ!
「これもあるの?さすが!」配管材料のお悩み解決!Topics
株式会社丸川商店 社長 川名 信之氏のONLY STORY
父と一緒に仕事がしたい。外から見て気がついた、丸川商店の魅力
私は成蹊大学の工学部で電気工学を学びました。ですが特に電気工学がやりたいわけではなかったんです。実は高校生の時に数学の成績だけずば抜けて良くできて。
現役での大学受験合格は難しそうだったので推薦を選んだ時、残っていたのが工学部でした。そこで選んだのがこの大学ですね。較的文系よりの脳みそだったので、大学に入ってから苦労したことも多かったです。卒業後はNECの子会社に入りましたが、特に入りたいわけではなかったので…折り合いをつけてしまったところはあります。結局、技術の仕事が向いてないなと感じたので、1年半でやめてしまったんです。
ここで人生を振り返って将来を考えた時に、他の会社へ転職するか実家の商売に携わる選択肢が残りました。その時、親父に仕事を手伝ってくれないかと言われたんです。でもいきなり丸川商店に来ても使い物にならないだろうからって、まずは違う会社に就職して。ただその時はまだ継ぐかどうか、自分の中でははっきりしていませんでした。
仕事をしているうちに取引先や仕入れ先から、自分の父親について聞く機会があった時、手前みそなんですけど、本当にあの人に助けられるよとか、良い話ばかり出てきたんですよ。多分その時ですね。
親父と一緒に商売をやってみたいなって思ったのは。
結局7年で丸川商店に戻りました。今度は丸川商店の営業として会社さんに行くたび、親父の息子さんって言われて。凄くありがたいけど、歯がゆかったですね。
「自分の力じゃないな」みたいな。でも40歳を過ぎてからは商品の問い合わせも見積もりも、専務の私に話が来るようになり、自分が商売してるな。と思えるようになりました。
社長になったのは43歳の時だったかな。親父が70歳を越えて、年齢的もいいんじゃないか、と言った感じで。後から考えると、いいタイミングだったのかなっていう気はします。周りからも「まだ社長じゃないの?」とか、言われてたのでね。
ニッチな商材こそ我が社に!丸川商店ならその材料対応できます
株式会社丸川商店は、私の祖父がリアカーを引っ張りながらロープなどを販売したのが始まりです。
昭和27年8月創業なので今年で65年を迎えますね。一言で言うなら、水道・空調関係の材料屋さんとして配管に関係する物を扱っています。昔からそうだし、多分これからもそうなのかな。
かなりニッチな商材を多く扱っているので、同業者さんはほぼいないですね。自社の在庫に置いておくほどではないけれど、どこかに在庫があったら便利、みたいな商品の取り扱いが多いですね。だから実質的に同業者さんは少ないし、いてもうちほどフレキシブルに対応できるところはないと思います。
例えば他社さんだと、納期が遅れてしまうとか、ケースでしか買えないよとかいう物も、丸川商店に行けば1個でももらえるし、直ぐに入る、その辺りが最大の特徴です。
この業界の人達が何かあった時にこれる最後の駆け込み寺のような存在になりたいという核を常に大切にしています。
今までのお客さんを大切に、ニーズに合わせて少しずつ変化して、時代の要請に寄り添いつつ、だけどぶれずに商売してきたことこそが65年間続けてこれた理由なのかもしれませんね。
ここから50年間が勝負、新たな施策を2本目の柱に
時代やニーズが変化していると言いましたが、日本の50年後の総人口は8000万を切ると言われています。これはもう止められないんです。人口が減るということは、建物のニーズもなくなっていくし、住宅も余ってくる。
この業界で生き残っていくには、より一層ニッチな部分を詰めないといけない。ですが本当にこれだけでは難しいだろう、と思って始めたのが消毒のための機器や水素水サーバーといった機器の販売です。
経営の2本目の柱として、水関係の事業を育てていけたらいいなと思ってやっています。建築環境は斜陽だけれど、環境関係はこれから伸びていく商品なので、今後はこの2本立てで上手くやっていきたいですね。
60年以上も会社を続けていると、どうしても良い時期と悪い時期が生まれてしまうんですが、残念ながら私が社長になってから、丸川商店の売り上げは比較的右肩下がりで来ています。多分、私が社長になる前ぐらいが一つのピークだったんですよね。だからこそこれからの50年間で働いてて良かったな、仕事してて良かったなと思える環境を作っていきたい。
社員さんも含めて皆で。努力した分、報われるような企業にしていきたいなというのが会社のあり方として目指す未来です。うちの社員さんは長くやってくれてる人達が多いので、今後もある程度仕事が出来なくなるまでは、会社に寄り添って業務を手伝ってもらいながら、一緒にやっていきたいと思っています。棺桶入った時に、ああ良かったって思えるような。
仕事が人生の全てではないけれど、やはり企業を経営している以上は何かを社会に残したい、何かを人に与えていきたいなと、私自身強く思ってます。