株式会社赤原製作所

赤原宗一郎

「企業は人なり」社員ファーストで働きやすい環境を

目指せ、板金加工業界のオンリーワン
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今回のインタビューは、大型板金加工を得意とする株式会社赤原製作所の2代目代表取締役、赤原氏にお話を伺います。「優秀な人材に国籍は関係ない」と語る赤原氏の想いとは、同社の展開する事業内容とは。詳しくお話いただきましょう。

株式会社赤原製作所 代表取締役 赤原 宗一郎のONLYSTORY


【経歴】

1970年、東京都町田市出身。1994年、中央大学法学部法律学科卒業。
 小学2年から野球を始める。小学6年の時に最優秀選手に選ばれる。大学ではゴルフサークルに所属し、夏休みはキャディバイトに明け暮れる。その一方、4年間居酒屋でアルバイトをし、料理 のいろはを身につける。

 1994年、関東電化工業㈱に入社。7年間営業部、4年間経営企画部に所属。
 2005年4月、㈱赤原製作所に入社。管理部、営業部、社長室長を経て、2014年10月より代表取締役に。現在に至る。

外国籍の人でも安心して働ける組織作り


–まずは、株式会社赤原製作所の事業内容について教えてください。

赤原氏:弊社では板金加工業と呼ばれる、鉄板を切ったり曲げたり、溶接して組み立てたりする事業を行っています。

その中でも、弊社は大型板金加工を得意としています。大型設備が整っているため、多くの製作所が3メートルのものまでしか対応できないなか、2倍である6メートルの鉄板加工も行うことができる点は私たちの強みです。

–具体的にどのようなものを作られているのでしょうか。
赤原氏:たとえば、ダンプカーの一部であったり、食品関係であればカップラーメンの麺を作る機械の部品であったり、挙げたらキリがありません。そこからも分かる通り、板金は様々な業界と関わることのできる事業なので、クライアントも1社依存型にはならず、分散化しやすいというメリットがあります。

–クライアントの細分化がどのようにメリットに繋がるのか、詳しく教えていただけますか。

赤原氏:毎月安定して収益をあげられるリピート品と、スポットものの両方に対応できるようになるのです。1社に依存してしまうと、新たな仕事やスポットものが入る余地が無くなってしまうのです。

理想は、7~8割の稼働で収益を上げて、残りの2~3割で新規やスポットを増やしていくことです。少し生意気に聞こえるかもしれませんが、お客様とは常に対等だと思っていますので、選ばれる会社であるためには我々の成長も欠かせません。

–お客様に選ばれるため、会社の成長を常に考えて事業をされているということですね。そんな赤原様が経営される中で、一番大切にしていることについて教えてください。

赤原氏:私は「企業は人なり」だと思っていますので、社員が明るく前向きに働ける環境作りを最も大切にしています。これまでお客様からは「赤原さんは真剣に向き合ってくれる」と評価をいただいてきましたが、それはひとえに頑張ってくれる社員のおかげだと思っております。

社内の風通しがよく、成長できる環境で安心して働くことができたら、結果いい仕事にもつながりますので、利益が出た分は社員へ還元するようにもしています。

現在53名の従業員の内、外国籍の従業員は40人弱いますが、本当に優秀な人に国籍は関係ありません。今、世界的に人材が足りなくなると言われている時代に、日本人中心の雇用に偏りすぎていたり、外国人は代用可能で、国内の労働力を補完する存在として扱っていたりしては、今後海外から優秀な人材を集めるのは難しくなるのではないでしょうか。

優秀な外国人と日本人が競争し合い、健全に市場が活性化していく。それが、本来の在るべきかたちだと思うのです。そのためにも、当たり前のことになりますが、弊社では30年以上前から、外国籍の人でも日本人と雇用条件を変えず正当に評価をしております。

リーマンショックからの復活


–赤原様は2代目とのことですが、事業継承に至るまでの経緯を教えていただけますか。

赤原氏:赤原製作所は、厳密にいうと先々代の祖父が作ったのですが、祖父が不慮の事故で亡くなったため、先代の父が24歳の時に引き継いで株式会社にしたのがはじまりです。

私は、大学卒業後、化学メーカーに就職し、営業部に7年間、経営企画部に4年間所属。その後、赤原製作所へ入社し、2014年に代表取締役になりました。

–赤原製作所へ入社してから一番大変だったことはありますか。

赤原氏:リーマンショックに大きな影響を受けたことです。
当時は先代の父が土地や設備を購入し、借金が増えたことで、正直不安はありましたが、父は絶対に大丈夫だといっておりました。しかし、その後2008年9月のリーマンショックで売上が一気に減り、年間で6,000万の赤字になったのです。

そこで、弊社で何人かにお辞めいただき、何とか持ち直したのですが、今度はメインでお取引をしていたお客様が自己破産し、再び毎月1000万円の赤字になってしまいました。その際に、リストラをした時の社員からは不当解雇だと訴えられることもありました。この時がどん底の状態で正直一番大変でした。

しかし、そういった経験から社内制度を考えるようにもなりました。まだまだ、課題もありますが当時と比較すると働きやすい環境を作ることができていると思います。

–そんなどん底の状態から、どのようにして今の状態まで持ち直したのでしょうか。

赤原氏:転機となったのは、2011年3月11日の東日本大震災で、津波の瓦礫処理や土地の盛土をするためにダンプメーカーからの特需があったこと。当時、社内では「復興のために役立つ仕事をしているんだ、頑張ろう」と鼓舞し合って乗り越えました。

また、父に先見の明があったのでしょう。先ほども申しましたが、リーマンショック前に大型な設備を取り入れていたので、特需に対応できたのも大きな要因になったと思っています。

人間性の向上がテーマ


–御社のこれからの目標やビジョンはありますか。

赤原氏:会社を成長させていきたいです。そのためには、もちろん売上や利益も大事ですが、私自身も含め、働く人間が成長をしていかなければと思っています。設備や技術力の向上だけでなく、それ以上に人間性、つまり人として正しいかどうかをテーマに事業を展開させていきたいです。

–なぜ、人間性がテーマなのでしょうか。詳しく教えてください。

赤原氏:いい会社になるためです。やはり会社は儲かればいい、というものではないと思うんです。だからこそ、私たちは損得の前に「お客様にとって本当に喜ぶものは何だろうか」とよく話し合うようにしています。それは、一見遠回りのようにも見えるのですが、会社がよくなるための一番の近道だと思うんですよ。

手前味噌なんですが、まわりからは赤原さんの社員はよく働いて、いい人が多いですよねって言っていただいております。しかし、私自身も含めてまだまだ改善の余地があると思っているので、これからも人間性の向上をテーマにしていきたいです。

–大きな質問になりますが、社会的にどのような会社になりたいと考えていますか。

赤原氏:社会から必要とされる会社、無くてはならないと言われるような仕事をしたいと考えています。1つの目安としては新規のお客様。つまり、お客様が増えていくことで、ものづくりを通して社会への貢献度が上がるのではないかと思っています。

実は最近、弊社のすぐ近くに1200坪の土地を購入しました。10年後くらいには、事業拡大を踏まえ新たな工場ができれば、よりお客様のお役に立てるのではないか、期待に応えられるのではないかと考えています。

–最後に、読者へ向けてのメッセージをお願いします。

赤原氏:「企業は人なり」だと考えていますので、社員が働きやすい環境を大切にしたいと思っています。そして、技術力の向上と合わせ、人間的にも成長をしていきたい、そういう意欲のある学生さんや賛同してくださる方がいれば、一緒にものづくりを通して社会に貢献していきましょう。

                                         執筆=山田
                                      校正・編集=笠原

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