株式会社 大泉工場

大泉 寛太郎

「本物の楽しい時間」を届けるために

楽しい食べ物、身体にいいジュースから不動産の活用まで
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株式会社大泉工場 社長 大泉 寛太郎のONLY STORY

子供たちの笑顔のために


ポンポンポン!というポップコーンの弾ける音と、子どもたちの笑い声。それを聞いて、世界中の銃声をこのポップコーンの弾ける音に置き換え、地球から戦争を無くしたいと考えた人がいる。

株式会社大泉工場の大泉寛太郎社長だ。もともと、工場の経営から物流倉庫を主とする不動産の賃貸を営んでいた大泉工場だが、2017年で創業100周年を迎える現在、跡を継いだ大泉社長によってさまざまな事業が展開されている。
ここでは、ポップコーンをはじめとするFUN FOOD事業と、ORGANIC事業を中心にお話をうかがった。

「大学卒業後は他の会社に勤め、そこで5、6年没頭しました。大泉工場を継ぐため前職を辞め、2ヶ月ほどの有休のうち1ヶ月をNYC旅行に費やしたんです。
いつかはNYCで働きたいと思っていたんですが、現地で働く日本の方に何をするのかと尋ねられて、答えられませんでした。
ただの憧れで、何をしたいかがわかっていなかったんですね。自分は何が好きなのかと考えると、食べることでした。
そうした中、NYCでポップコーンを食べながら街を歩いている女性がキラキラ輝いて見えたんです。
これは流行るのではないかという思いで帰国し、いろいろ調べたんですが、なにぶん知識はゼロ。
ある方との出会いによって、アメリカのポップコーンマシンメーカーの代理店の道が開けました。
まずポップコーンを作ってみたところ、ポンポンポンという音がまず楽しくて美味しくて。この過程を見ているうちに、これを世界の恵まれない子ども達のところへ持っていけば、銃声がバンバン鳴り響いているような世界にポップコーンが弾ける音を持っていけば、日常から銃声の音を消し去られて戦争がなくなるなと思ったんです。それで、本気でポップコーンの事業をやろうと思いました。」

事業立ち上げの経緯は、まるで1つの物語のようだった。自分の夢が描けなかった若者が、ポップコーンに出会って、夢を形づくっていく物語。社長の夢は子ども達の夢へとつながっていく。
アメリカでは、ポップコーンを「FUN FOOD=楽しい食べ物」と呼んでいる。
大泉工場FUN FOODビジネスのトータルサポートをしているのだ。


FUN FOODの日を世界に広めるため活動開始 


では、子ども達にFUN FOODはどのように笑顔を届けているのか。その経緯をうかがった。

「ある日ラジオで、児童養護施設で勉強を教えるNPO法人の代表の方が話しをされているのを聞いて、早速その方とアポをとったんです。ポップコーンで世界を幸せにしたいんですと。
うちは埼玉県川口市にあるのですが、隣町の赤羽にかなり大きな規模の児童養護施設があったんです。FUN FOODの日としてマシーンを持っていき子どもたちにポップコーンを食べてもらうイベントは、最初は年に2回ほどから始まって、今では月に1回行っています。
この活動をまずは日本から世界に広げていきたいと考えて、少しずつ呼びかけを始めているところです。ポップコーンメーカーのお客さまは全国にいらっしゃるので、そういう方々が趣旨に賛同してくださるのであれば、食材をサービスさせていただいたり、活動の支援をさせていただきたいと考えています。」


最高に身体にいいものを提供するため


五感を刺激する楽しいFUN FOODだが、身体にいいイメージがないのも確かだ。

逆に言えば、身体にいい素材を使ったものであれば、最高にいいものなのでは……
そういった社長の発想から生まれたのが、ORGANIC WORKSだ。
「アメリカで今流行っているものはジュース。向こうは野菜や果物をそのままつぶして、その植物がもっている栄養そのものをそのまま摂取する。
日本と作り方自体が違っていて面白かったんです。それを日本のオーガニックの野菜や果物で作ったら、もっと栄養素の高いジュースができるんじゃないかなと思ったのがきっかけです。」
そういったジュースには、値段が高い、苦いといったイメージがついてまわる。

「良薬口に苦しではありませんが、弊社で作るジュースも、美味しくて飲みやすといいうジュースでありません。野菜の苦味などを直接的に感じるので、日本人が感じる昔からのジュースとは一線を画しますが、身体をきれいにしようというのがいちばんの目的です。」

夢を実現させるための実行力


質のいい商品を提供するためにも、それを作るマシーンは重要だ。

大泉工場では、全米シェアナンバーワンのメーカーの代理店として、オフィシャルにパーツを扱い、メンテナンスを行っている。
この商談の際、社長はNYCへ飛んだ。大泉工場を継ぐ少し前に語っていた夢がほんの少し実現したようにも思ったという。いずれはNYCに拠点を置くつもりでもある。
そもそも、社長のフットワークは軽く、いろいろな夢を描き、実現させる実行力は半端ではない。
もともと大泉工場の本業は、時代の流れで閉鎖された工場跡地の不動産管理であった。
それはもちろん継続しているが、高大な敷地をキャンパスと呼び、Wi-Fiを解放するなどして、現在は活用の方法を探っているところだという。

アイディアがいろいろ湧きすぎて困るほどだという社長は、いずれは、日本のものづくりの力を世界に発信するということを目指していきたいと語る。
「日本の企業と絡みながらFUN FOODやORGANICなどを広げていきたいですね。やれることはいろいろとあるので、ひたすらがむしゃらにやれることをやっていきたいと考えています。」


株式会社 大泉工場
編集=勝野・山崎


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