株式会社オモロー

寺島 裕人

今をもっと、オモロくしたいあなたへ。

人間版クラウドファンディングで夢を叶えませんか。
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「心躍るオモロいサービス」を通し、世の人が少しの幸せと勇気をもらえるサービス、企画支援を行う株式会社オモロー。

「オモロい人であり続けたい」とエネルギッシュに語る寺島氏のルーツには、病や偏見との壮絶な戦いと運命の出会いがありました。今を変化させたい若者の皆様や、自分の仕事やあり方を持つ起業家の皆様、必見のインタビューです。

株式会社オモロー 社長 寺島 裕人氏のONLY STORY

「人間版クラウドファンディング」で夢や好奇心を応援。


— 御社では人の人生が変わったキッカケを特集するインタビューメディア「KeyPage」やドラマ・映像プロモーション、「One Heart Project事業」など様々なサービスを提供されていますね。中でも「One Heart Project事業」は印象的でした。まずは、この事業についてお聞かせください。

寺島:「One Heart Project事業(以下:One Heart Project)」は、人の夢や好奇心を実現させるための「人間版クラウドファンディング」です。

普通のクラウドファンディングは、作りたいモノや実現したいコトに対して共感してくれる人たちから出資という形で支援してもらう仕組みですが、One Heart Projectではお金だけでなく、実現したいコトを実現させられるスキルを持っている人材や必要な計画などの支援も募ることができます。

そして、それらが集まった後にコミュニティ化して実現までをサポートさせていただいています。

— お金だけではなく人材やプランまで、ですか!実際には、どのような人たちがターゲットなのでしょうか。

寺島:「こういう事をやりたかった!」っていう強い好奇心はあるけれど、それを実現するためのスキルや経験、計画力などを持っていない人たち。

つまり、0から1を目指す人ですね。既にプランやスキルのある人がステップアップのために使うクラウドファンディングとは似て非なるものなので、僕たちはこれを「クラウドリクルートメント」と呼んでいます。

— これまでにどのようなことを実現されたんですか?

寺島:例えば、大阪のカバン職人さんは「自分の本を映像化したい」という夢を実現しました。彼は自分好きが講じて『自分』という本を書かれたんですが、そこから脚本を書くことがものすごく好きだということに気づかれたんです。

「いつか自分が書いたお話が映像化できたらいいな。でも映画製作の知識も、作れる仲間もいない。だから諦めました。でも、いつかはできたらいいなって今も思っているんです。」って僕に相談してこられて。

— それで「One Heart Project」で実行することになったということなのですね。

寺島:はい。彼は脚本と監督を自分でやり、それ以外に必要な映画製作のスキルを持っている人たちと出資金とを一括で募集して、最終的に40人ほど集まりました。映画は製作完了して、無事公開されましたね。

他には、3年前にビアホールを建てました。100人の協力者と資金が約200万円集まり、山梨のキャンプ場に1日限りで。完成したビアホールで全員で乾杯しましたね。そういう事を、これまで20個以上やっています。

—私たちも、そんな面白いことやってみたいですね!

21歳で精神病克服。“恩返しの気持ち”が原点に


—「One Heart Project」は、どんなきっかけで始めたんですか?

寺島:それは、僕の幼少期の経験が影響しているんです。今僕は身長が160cmあるんですけど、実は14歳の時まで130cmしかなくて、それ以上は成長しないって医師から宣告されていました。先天性下垂体性小人症という病気です。

小学校では、周囲がどんどん成長する中で差別されて、イジメられました。教師も信頼できず、小学校に居場所はなくて…。病気のせいで負けるなんて絶対に嫌だったから学校には通い続け、勉強もスポーツも頑張りましたが。

でも、身長だけはどんなに頑張っても絶対に伸びない。絶対に変わらない現実を幼いながらに突き付けられて、もうほんとに絶望しか無かったです。

何のために生きてるのかわからなくて、いつも死にたくて、4つの精神病を併発しました。投薬治療のおかげで身長は伸びましたが、精神病は大人になっても治らないままでしたね。

— 今の寺島さんのお姿からは全く想像がつかないお話ですね…。

寺島:でも21歳の時に、やっと初めて信じられる人と出会えたんです。職場の先輩で、ひと夏に7回ぐらいキャンプ行くような、とにかくおもろい人でした。

でも、嘘偽りが1つも無い人だったんです。僕は彼を信頼していたので、憎悪の塊みたいな話し方で、周りの愚痴とか世の中に対する不満とかを聞いてもらいました。そうしたら「周りがクソなのはお前がクソやからや」ってバチコーン言われて…。

こんな惨めでおもんない人生を変えたいって、初めて思いました。先輩みたいになりたくて、「何でもするから変えて欲しい」って頼みましたね。そこから3年間は修行です。

— 修行、ですか。どんなことをやったんですか?

寺島:先輩に言われたこと全部です。知識がまず無かったので色んなセミナーに参加したり、3日間寝ずに働いたり…。毎日血尿が出るぐらいまで頑張って、月の交際費も40万円ぐらいかかっていました。

バイト4つぐらい掛け持ちして、食費は1日に100円ハンバーガー1個。残りは全額自分を変えるためのものにだけ使って…。

死にそうなくらいしんどかったけど、とにかく変わりたかったから必死にやり続けました。今振り返っても、ほんとに自分が変わるための努力をしたんだって思うんですよ。

— その3年間が精神病を克服する力になったんですか。

寺島:精神病を克服したきっかけはというと、実は母の言葉です。母は僕の必死な3年間を黙って見守っていましたが、ずっと心配していたんですね。それである夜にじっくり話をしました。

僕は「ずっと真っ暗闇の中で生きてきて、やっと1個の光を見つけた。それを掴めなかったら、もうこの先絶対何も変わられへん。もうちょっと頑張らさせて欲しい。もうちょっとで何か掴めるねん」って言いました。

そしたら、母が泣きながら言ったんです。「ずっと言えなかったけど、今なら言える。アンタ産んでほんまに良かった」って。

— そうだったんですね…。

寺島:「あ、自分はもうクソじゃないんだ」ってようやく思えましたね。そして病気で生まれたことに感謝できたんです。そうしたら一瞬で全ての精神病が治りました。ほんとに一瞬で。これまでの取り組みはムダじゃなかったって思えましたね。

それで先輩に「恩返しがしたい」と伝えたら、「恩返しはいらないから、今度はお前が誰かを助けておいで」って言ってくれて…。それがすべての事をやり始めるきっかけになりました。

—「One Heart Project」にそんな大きな物語が隠されていたなんて…。想像もしていませんでした。

寺島:僕は、人と人が出会うことによって可能性を生める事を、人生の中で経験してきました。だから人と人がつながって、もっとおもろく変化していく場所を作り続けて生きていきたいんです。それが今まで助けてくれた人達への恩返しになると思うから。

『僕らの文化祭。』に参加して、オモロい人になれ!


— 人と人とが繋がることでおもろくなる場所を作るために、今後はどういったことに力を入れて行きますか。

寺島:「One Heart Project」は、誰かのやりたいことを叶えるためのサービスですが、その理念は、「やりたかった事を思い出してもらうこと」なんです。そこから可能性は生まれてくるので。そうした想いの集大成が、『僕らの文化祭。』という文化祭イベントです。

— 文化祭…!なんだか懐かしくって、ワクワクしてきますね!

寺島:そうでしょう(笑)大の大人たちが集まって、文化祭というめっちゃ面白いコンテンツに、かつてやりたかったことをぶつけるんですよ。大事なのは実現することじゃなくて、「やれるかな?やれるかも!」っていうプロセスを体験すること。「できる!」って信じる気持ちは、とてつもないパワーを生みますから。

それから、これは地域活性の事業にもなるんです。都内の若者たちの個性的な所と、地域の人達の伝統や地域愛、自分達の集落の人達への愛を組み合わせて、コミュニケーションツールで結びつければ、新しい魅力が生まれてきます。そういう意味でも、『僕らの文化祭。』は、すごい価値を生みだせるんですよ。

— 僕も『僕らの文化祭。』に参加したら、もっとおもろい人間になれますか…?

寺島:なれます!絶対に。

参加すると、自分のやりたい事や成長意欲、自分の能力が誰かのためになることなどが絶対に分かります。自分が何のために生きているのかが分かると、人は絶対におもろくなるんですよ。

だから、今を変えたい若い人とか、新しく何かを成し遂げたい人にはどんどん参加してもらいたいです。そのためにも「One Heart Project」と『僕らの文化祭』をもっと世の中に広めて、誰もが同じ可能性を持てる世界を作りたいですね。

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