株式会社Zone
小村英樹
POSTED | 2016.06.16 Thu |
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TAGS | 従業員数:5人以下 業種:製造業 創立:15年以上 決裁者の年齢:その他 商材:BtoC |
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「日産フェアレディZ32」に誇りをかける。
借金、転職、倒産…。ドン底の人生を、1台の名車が変えた。Topics
Zone株式会社 社長 小村 英樹氏のONLY STORY
株式会社Zone 代表取締役 小村 英樹様
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島根県松江市出身。47歳。6人家族。趣味はドライブとエレキギター。
元コンピュータープログラマー&システムエンジニア。独立10年目。
Z32販売台数2,000台以上の実績を持つ。座右の銘は「継続は力なり」。
撮影協力:タランティーノ監督映画『KILL BILL』、映画『スピードマスター』
映画『ガクドリ』、テレビヒーロー番組『レスキューフォース』等
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「Z32しか扱わない」という誇り。
20代、私の人生はドン底でした。20歳の時にネットワークビジネスに引っかかり、ソフトウエア会社を退職。生活費や家賃を払うお金が欲しくてサラ金やマンション経営にも手を出し、多額の借金を抱えたんです。ふやかしたカップやきそば1個で1日をしのぐ日が続きました。
ただ、その頃から何かで成功したいという夢は心のどこかに持っていたんです。
生活のために給料の良いコンピューターシステム販売の会社に再就職し、SEとして勤め技術部主任まで上り詰めたのですが、今度は徹夜続き。
お金の代わりに人間らしい生活を失いました。振り込まれた給料がその日に無くなる生活にも耐えられず、本気で破産まで考えましたね。
こうして20代後半まで不眠不休で1日も遊ばず本業とバイトで食いつなぎました。
自動車業界に入ったのは、土日にやっていた洗車のアルバイトがきっかけです。
特別車に興味はなかったのですが、縁あって中古車販売会社に思い切って転職しました。
くるまのくの字も分からないど素人でしたので、整備士の見習いからスタート。
営業の手伝いをした時は「なんて楽な商売だ」って思いましたね。営業経験ゼロなのに初日で3台の車を売ってしまったんですから。
それだけ車がバンバン売れた時代だったわけです。営業になってからはお金になれば良かったので、上手いことを言って車を売り続けました。
ただ、すぐに売れなくなって行き詰り、営業に向いていないのかなって本気で悩んでいました。
ところが、突如店長を任されたことで、働き方や考え方が変わって行きました。
クオリティの低い車へのクレームの嵐。仕事に全く自信や誇りが持てなくなっていましたので、「これからは、自分の好きな車でやりたい」と思うようになりました。
やっと自分の夢を叶えるチャンスが来たのです。
実は自動車に興味のなかった私が、20歳の頃から唯一憧れていた車がありました。それが「日産フェアレディZ32」です。
当時の日産がコスト度外視で魂を込めて作った高級スポーツカー。高嶺の花で貧乏な私には無縁の車でしたが、国籍も時代も超える万国共通の格好良さがありました。
当時、一車種の専門店なんてありませんでしたから社長は当然猛反対しましたが、私の腹は決まっていました。人生の賭けに出たんです。
お店の看板を「Z32専門店」に全て変え、自分を追い込みました。仕入れから企画・販売・広告・管理・運営までをこなすため、軌道に乗るまでの数年間、毎日朝まで仕事をしました。
その甲斐あって急激に知名度が上がり、全国から注目される有名店になりました。ただ、名ばかりの専門店でしたけどね。
最後には5店舗の営業統括まで上り詰めましたが、ノルマと数字に厳しい鬼上司でした。
会社は今で言うブラック企業になっていて、皆悶々と仕事をしていました。
そんなある日、突然計画倒産で会社が亡くなったんです。忘れもしない9年半前の12月20日です。
その瞬間に「Z32は俺が残す」と独立を決意し、僅か1ヶ月でお店のオープンさせました。
次には「Zで一番のお店になる」「Zが一番好き」「Z一筋」という思いを込めて、社名を「Zone(ゼットワン)」にしました。
「お客様」ではなく、「Z32を残すための仲間」。
普通の中古車販売店は価格重視。いかに安く仕入れて安く販売するかなので、利益を取るため十分な整備をしないで納車してしまうしまう場合が多い。以前の会社がそうでした。
今は真逆でクオリティ重視で高い。長く乗れるベース車輌のみを厳選仕入れし、納車整備もとことん行うようにしました。
Z32の車輌価値を上げることによって、良いオーナー様と出会えて、後世に残せるんだと確信しました。Z32を始めて約20年。長い道のりでしたが、やっと真の専門店になったんです。独立しなければこのスタンスは作れませんでした。
他店で購入された方や新車から乗っておられる方からの予防整備や修理のご依頼も全国から頂けるようになりました。その方々も「お客様」ですが、私達は「Z32を残すための仲間」だと思っています。
その仲間を大事にするには、やはりZ32のために良い仕事をすることです。ご予算やメニューはこちらで決めてご提案し、納車までの時間もたっぷり頂きます。おこがましいんですが、出来る限りうちに合わせてもらっています。
そうすることで「車が調子良くなった」「安心して乗れるようになった」「専門店に出して良かった」と喜んで乗って頂き、もっと大事に長く乗りたいと思って頂けるんです。
逆に不本意な仕事や手抜きになるような仕事はお請けしないようにしています。Z32のためにならないし、その車は残らないからです。
私はディーラーさんの様な、かしこまった営業もおもてなしもしません。それは、仲間になれた方々とは目線が同じで、上下関係がありませんので。お互いZ32を残すために本気で、真剣にぶつかっていますので苦楽を共にできる運命共同体と言えます。
良い仕事をして、良い仲間ができて、その結果お金が回ってくれば良い。数字を追えば良い仕事ができない。だから、今は経営計画もノルマも強制もありません。
仕事を皆に任せることで、やりがいを持って前向きに活き活きと働いてくれていますし。経営をしている感覚があまり無いんですよね。
普通の会社だったらあり得ないですけど良いんです。私の会社なんだから。
皆が健康でモチベーションを保つこと。10年後もZ32に乗り続けるために。
これからもっと古くなっていくZ32をどう残していくか?この課題は永遠に続きます。
まずは今乗っている方々が乗り続けられる環境を整えること。それは、純正部品が無くならないよう毎日メーカーにオーダーし続けたり、製廃になってしまった部品の中古をストックしたり、整備設備や機材を充実させたりと、根気と粘り強さが必要です。
Z32と私達も運命共同体です。どちらかが衰退したらお終いです。時代に取り残されても、ぶれることなくZ32を残すことだけに尽力し、会社を大きくするのではなく少数精鋭で行きます。
将来は「Z32の修理ができるのはZoneだけ」という姿を目指しています。継続は力なりです。
長い方はかれこれ20年近いお付き合いがあります。「互いに年取ったね」「でもZ32を乗り続けてきて良かったね」と、10年後も仲間と笑っていたいです。そのためには、仲間もスタッフも皆健康で、Z32を乗り続けるモチベーションを保つことです。
Z32の未来は仲間と一緒に作ります。もちろん私もZ32保存会の代表として乗り続けますよ。