株式会社ラジアント
杉浦武雄
POSTED | 2016.08.04 Thu |
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TAGS | 従業員数:5人以下 業種:その他 創立:15年以上 決裁者の年齢:その他 商材:BtoB |
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海外の影響を受けない国内需要創出
これからの農業が向かう道Topics
口コミや評判だけではわからない、株式会社ラジアント 杉浦 武雄社長の物語
~ 株式会社ラジアント 代表取締役 杉浦 武雄様 ~
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大学で建築を学び、海外勤務願望で商社に就職。商社入社後はアジア、中近東勤務など8.5年間家族帯同で経験。タイ、パキスタンでは戒厳令下の生活を体験。商社退職後はプレハブメーカーで床暖房システムを4年間扱う。
1993年には株式会社ラジアントを設立。 熱効率の良い床暖房開発に着手。氷蓄熱及び太陽熱土壌消毒システムの各種特許を取得。外国資源に依存しない純日本産農産物の全国的な安定生産、日本農業の再生に全力投球している。座右の銘「例外のない規則はない」(There is no rule without exceptions)
趣味はエアロビクス、ヨガ、将棋、数独。最近、筋トレに挑戦、レッグプレス180kg,スクワット40kgクリア、MLB42歳イチロー選手の「50歳現役宣言」に便乗し、「90歳現役宣言」で地方創生に貢献し楽しい人生を全うする決意である。
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海外生活で多くの歴史的出来事に遭遇、懐かしい思い出の数々!!〜家族の支えがあっての海外生活〜
実家は建築業を営んでいたから、私も跡を継ぐつもりで大学では建築を勉強していたんだ。勉強の傍ら松坂屋でアルバイトしてたんだけど、外商に魅力を感じて海外への憧れが高まったの。結果、実家には戻らず海外勤務を希望して商社に就職したんだよ。
商社入社後、社内で人気のないアジア、中近東滞在を8年半もの間、家族同伴で経験したんだ。バーレーンには当時日本大使館がなくて、日本人は僅か3家族。隣国のイラン革命(1979年)にも遭遇をしたんだ。
懐かしい思い出としてあげるとすれば、イスラマバードでの4年間だね。当時隣国アフガニスタンにソ連が侵攻中、商用でペシャワールへ出張の際、興味本位で、アフガンとの国境、カイバル峠を乗用車で上り、「あれがカブールだ」と現地人の証言を得た一週間後、カイバル峠は閉鎖されたことだな。
「6年間の単独駐在海外勤務」には満足感あったけど、家族は大変で。特に長女は帰国後、帰国子女向け中高一貫女学校で6年間の寄宿生活を余儀なくされたんだ。
商社勤務を継続すると、又海外勤務の気持ちが芽生えるとも思ったし、48歳の時に早期定年退職制度ができたのを契機に退職を決意したんだよ。
商社を辞めたあとは、住宅の仕事についてハウスメーカーで床暖房を4年扱ったの。農業に床暖房を使おうというアイデアはここから生まれたわけ。
ムハンマド・ジア=ウル=ハク大統領の写真とサイン(パキスタン大統領)
土壌微生物と腸内細菌と共生し有機農産物で健康な人生を!!〜深層地中加温が出来るまで〜
株式会社ラジアントは熱効率の良い床暖房を開発し、低コストで有機作物の周年栽培が実現できる深層地中加温システムを、たくさんの現場に届けている会社なの。
人間の腸内細菌と土壌微生物の働きは良く似ているんだ。人間の腸には腸内細菌がいる。土のなかには同じように土壌菌がいる。
人間の腸内細菌は、有用菌と悪玉菌の拮抗状態で健康状態のバランスを取ってるよね?腸内細菌を増やして人間が健康をよりよく維持するためには、運動・歩行・脳トレなど、いろいろなことをして血液循環を促して若干高めの体温を維持することが大切なんだ。土壌菌も同じ。
冬に作物が生育しない理由ってわかるかい?答えは、それは、土壌微生物が気温低下に伴って地温が下がり、有用菌が減り、悪玉菌(病原菌)が増えるからなんだな。
外気温が下がって地温が下がると地中の有用菌が減ってしまうんだ。そして人間で言うところの悪玉菌が増える。
そこに注目したのが「深層地中加温」というアイデアの始まり。実際に、床暖房の技術を冬季の施設園芸ハウスに応用して土壌を暖めてみたの。そうしたら、冬季の長野で実に美味しいトマトができてさ。これだ!と思ったんだ。
冬季でも温水で地中をゆっくり温めて、土壌微生物を活性化させれば冬でも農産物が安定生産できるんだ。さらに、夏にハウスを閉め切って、太陽熱でハウス全体をサウナ状態にすることで、殆どの菌を殺菌もできる。
そのあと堆肥を投入すれば、無農薬・無化学肥料のオーガニック相当の有機農産物を、冬季も安定して作れるようになるんだ。
日本で癌が多いのはなぜだと思う?畑に化学農薬が多く使われているという理由もあるのではないかと私は考えるんだ。
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」という著書にもそういう記述がある。私が農薬を使わない農業をしないとだめだと主張すると、いろんな方面から怒られるけどね。
安全な農作物を作って今後も海外へ輸出していくためには、海外の人に受け入れてもらえる基準にあわせていかなければいけない。農家が低コストで有機作物を作れるようになるというのは、これからとても重要なんだ。
日本の農産物を成長輸出産業とする事業に挑戦!!〜TPPなんかに負けてられない〜
政府は、2020年に日本の農林水産物の輸出額を現在の5000億円を1兆円にするという宣言をしたよね。今はね、輸出の殆どが水産物でさ、農産物ってのは、加工品と果樹で、野菜類はゼロに等しいの。
それに海外で人気のあるオーガニック食品相当の有機JAS農産物の生産量は、まだ全農産物の0.2%だけなんだよ。
同じ農薬を使って安ければ、消費者は喜ぶんだ。でもね、逆に日本で良い物を作れば、それを逆に輸出出来、TPPも味方にできるわけ。オーガニックと同等なものを私は作れるんだよ。
話は変わるけど、温暖化になって世界的に困ることは、人口増、水、食料だよね。食料安定供給の体制が整っているところは今後絶対に強いはず。
今後に備えるためには、早急に食料の安定供給・備蓄体制を築くべきだと私は考えてるの。
日本にはさ、農業に適した資源がたっくさんあるわけ。水、森林、そして「寒さ」だ。今までこうやって恵まれた環境にありながら、農薬頼りの農産物を作ってきたり、「農業は儲からない」と就農者の減少に手をこまねいてきたりしたのが現状なの。
私は、若者を中心に、新規就農者、そして、次世代農家と力を合わせて、農薬を使わない「儲かる農業システム」を一年以内に構築する予定でいるんだ。
そして、若い世代の人にもっともっと農業をやってもらい、オーガニック相当の有機農産物を成長輸出産業にどんどん押し上げていきたい。
最後に、会社設立の話をするね。1993年、アメリカ大統領就任のビル・クリントン氏が「Change!」と宣言しましたんだ。あの時、ぼくと同じだ!と思ったの。その日に会社を設立したわけ。(当時53歳)
「第二の人生」なんてよく言うけれども、人間は第三、第四といくらでも挑戦できる。ぼくは今「第三の人生」に挑戦中なんだ。