瀬戸房
瀬戸 賢一
POSTED | 2016.08.31 Wed |
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TAGS | 従業員数:6~10人 業種:その他 創立:15年以上 決裁者の年齢:その他 商材:BtoC |
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「心」を磨き、「人間力」で戦え
小田原で60年。事業規模を縮小しながら成長を続ける家具店。Topics
株式会社瀬戸房 社長 瀬戸 賢一氏のONLY STORY
3つの幸運がつないだ、瀬戸房の歴史。
株式会社瀬戸房は、私の祖父が小田原で立ち上げた家具店です。
今年でもう94年余。私が社長に就任するにあたり、ひとつの不運と3つの幸運がありました。
ひとつの不運は、私が大学4年生の時に父が突然亡くなってしまったこと元々は祖父がタライや葛を販売していましたので、その家具屋を継ぐものと小さい頃から思ってはいましたが、まさかこんなにいきなり継がなくてはならなくなると思ってもいませんでした。2~3年父の元で勉強しながら少しずつ継承できればと思っていましたから、お店のことはチンプンカンプン。
若かったこともあり、職人さんたちとよく衝突しましたね。
一方で、26歳の時にひとつ目のラッキーが訪れます。
非常に良いタイミングで店舗を新築できたのです。
当時はオイルショック。もう少し遅かったら資材は入らず、着工が遅れたか、着工もできなかったかもしれません。
実はこの新築は父の遺志によるものでしたから、父の先見の明には今でも感心しています。
ふたつ目のラッキーは、ウチの倉庫を購入したいと、隣の企業が言ってきたことです。
その頃、老朽化した倉庫の建て直しの話が社内であり、等価交換的ではありましたがわが社にとても有利な条件を提示していただき念願の立派な倉庫を建築できました。
三つ目のラッキーは、人とのご縁があって、現在の商業施設のテナントに優遇された条件で入店出来るようになったこと。
この頃、うちの経営は本当に厳しかったんです。
家具は住宅が建たないと売れませんし、流し台がシステムキッチンに、洋服ダンスがクローゼットにと、日本人のライフスタイルが西洋化していくにつれ、収納家具からベット、イスに至るまで、住宅メーカーが取り扱うようになっていきました。
一方では老朽化した店舗だったため、エアコンやエレベーターなどの設備改善をしようにも、資金調達ができなかったので、運良く隣のビルのテナントが撤退し、破格の賃料で入店できることになった時は嬉しかったですね。
この3つのラッキーなくして、今の瀬戸房はありませんね。
商品力より、人間力。
かつては大型の家具も扱っていましたが、今は、おしゃれな生活雑貨や、自社で配送できるような家具を中心に取り扱っています。
店舗のイメージは、気軽にちょっと寄ってもらえるような、インテリアショップのような家具屋さん。
家具屋は暗いというイメージをお持ちの方も多いので、店内を明るくし、商品がより良く見える店作りを心がけています。
私たちのような家具店は、値段や品揃えにおいて大手の家具店にはとても太刀打ちできません。
だからこそ、昔ながらの信用とお客様からの親しい付き合いを大切にしています。
家具店というのはお客さんが来る頻度がとても少ない。
商品力よりも「人間力」が大事なんです。
人間力とは、すなわち接客のことです。家具を買うまで、お客様は3回は来店されます。
第一印象が良ければ、また来店してくださり、そのお店で買って頂けるのです。
第一印象で「良い人だな」という印象を持ってもらうためには、笑顔や挨拶が欠かせません。
とにかく「心」を大切にして、雰囲気の良さを持ち続けるよう心がけています。
心を豊かにするには日々の勉強が欠かせません。
常に生涯学習を胸に、いくつになってもまだまだ色んなことを学んで行きたいと思っています。
大切な地域のために、自分たちにできることを。
日本はかつてのように家具にお金をかける時代ではなくなってしまいました。
輸入家具に押され、日本独自の地方の家具が衰退し、家具業界自体が衰退してしまっています。
当社は業務自体縮小傾向にありますので、家具業界全体を見据えながら、インテリアの味付けができるお店にしたいと考えています。
前述の通り、家具を販売するには、根本的な人間力や心が大切ですから、これからも心を鍛えていきたいですね。
また、瀬戸房という名前は残しつつ、社会や小田原地域のニーズに合った業態に代わっていくことも必要だと思っています。
近年では小田原市倫理法人会の会長に就任し、家具という業態を軸に、小田原の地域活性化につながるような取り組みをしていきたいですね。
私の幸運で後押しできたらいいなと思います。