株式会社メテックス

田中 昌男

扱うなら、欧米の趣味の良い雑貨を。

商人魂が問いかける三方幸せな経営力とは。
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口コミや評判だけではわからない、株式会社メテックス 田中 昌男社長の物語

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株式会社メテックス
代表取締役 田中 昌男 様
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昭和45年(1970年)
慶應義塾大学法学部法律学科卒業。
三井物産等勤務中に ロンドン及びニューヨークに通算10年駐在。

平成1年(1989年)
米国ウィスコンシン州政府駐日代表就任。
アメリカ州政府在日事務所協議会(ASOA)副会長等歴任。

平成5年(1993年)
当社代表取締役就任。

平成28年(2016年)
当社会長就任。

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人生を一変させた、一通の手紙

私が子供の頃の日本は、アメリカ供与のアメリカでは家畜の餌、とてもまずい脱脂粉乳が小学校の給食、とても貧しい時代でした。働くなら貧しく資源の無い日本を貿易で豊かにしたい、商社で働きたいと三井物産を志願、幸い採用されました。英語力向上と海外事情を知る為世界中を訪問、大学1年、親友との世界一周の際、父に将来世界の注目を浴びる中近東を見ておけと言われ、南回りでヨーロッパへ行きました。父の通訳兼カバン持ちで欧米・アジアオセアニアや南米も訪問しました。

三井物産に入社後、3年目の25歳で担当していた船舶ビジネスの世界の中心、ロン
ドン支店に配属されましたが、赴任数か月後に第一次オイルショックが起こり、一躍中近東が世界の注目を浴び、父の予言に納得しました。当時の海外勤務は憧れの的、張り切って働きまくりました。先輩がやっていなかった新しい分野にも挑戦、取引先の信頼を得る様々の工夫をし、売上を1年目に2倍、2年目には3倍に伸ばしました。日本にいた彼女と結婚、双子の女の子も授かり人生が輝いていました。

そん
な幸せな生活が、日本からの一通の手紙で激変する事になりました。両親経営の社員百人余り、売上も百億円近い、繊維の中心船場でもかなり名の知れた繊維問屋の筆頭役員からで、過剰在庫で経営を圧迫、更に父の健康状態がすぐれず、非常事態なので、僕に迷惑をかける結果になるかもしれないが、帰国して会社と両親を救ってほしいと切々と訴えてきました。従業員数人、店と家が同じだった頃から一緒に育った両親の会社と社員、恵まれた教育を与えてくれた両親の事を考えると、大好きだった三井物産でしたが、退職する以外の選択はありませんでした。

累損と不良在庫の処分で20億円以上の赤字、利益の薄い繊維の商売では簡単に回
復できる数字ではありませんが、まずは黒字化が必須、それには、「入りを図り、出ずるを制する」、即ち売上・利益を増やし、費用を減らす、のみです。問題は実現方法です。

赤字なのに両親はそれぞれ運転手付、ガソリン食いのアメ車に乗って
いました。説得し、国産車1台に同乗してもらいました。それだけで年間1千万円の経費節減。又社員食堂だったフロアを和食屋さんを誘致、家賃収入を得ると同時に社員食堂の経費をゼロにしました。社員は30%割引にしてもらったので、社員も喜びました。これは1500万円の収支改善。銀行にも実情と改善方針を説明、大幅な金利引下げを頂き、数千万の節約となり、とても感謝しました。当然売上アップ、在庫処分にも必死で取り組みました。

繊維の在庫は、半値八掛け
五割引き、原価の20%にしかなりません。しかしキャッシュフローが会社存続には必須、思い切って処分しました。経営状態は劇的に改善され、1年で経常黒字に転換しましたが、残念ながら、両親との仲は悪化、争いが増えたので、再建の目途が立ったのを機に退職、サラリーマンに戻りました。

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三方良しの、まともな商売をしたい。

退職後、上場企業にNY駐在5年を含め十数年勤務、物作りや金融を経験、次いで、アメリカのウイスコンシン州の駐日代表に就任、日本との貿易・投資促進に携わりました。後にブッシュ政権の厚生省長官になったトンプソン知事に信頼され、充実した毎日でしたが、今度は弟からの一本の電話で再び人生の転機が訪れました。
 
弟はメテックスの前身、モデナという繊維関連の会社を経営していましたが、一時的に資金ショートした、200万円2週間だけ貸してくれとの事、すぐに送金、しかし2週間たったら更に200万円追い貸しする羽目になり、最終的には5千万円迄貸しました。問い詰めた所、バブル時に銀行からの借金でやった投機が泡と消え、自力では返済不可能でした。見放す訳にもゆかず、州代表の仕事の片手間に手伝いました。幸い僕が見つけた商品がヒット、売上も伸びてきた為、本格的に経営に関与
する事になりましたが、両親の会社とは全く違う業態、資金は無いのに累損は2億円、利益率が高く、資金効率の良い商品でしか再建できません。幸いウイスコンシン州代表時に、消費者製品の輸入促進を手掛けており、多少当てはありました。
 
最初の商品が、ウイスコンシンの会社の腰痛防止ベルトでした。斜面に立ちっ放しで腰を痛めやすいスキーのコーチに爆発的に売れ、初年度に売上5千万円、利益もかなり確保できました。高齢化社会を見据え、健康用品の需要増大を予測、欧米の健康用品中心の商品展開を基本としました。その後、セレクトショップ・通販・TVショッピング等、多種の商品を扱う大手のお客様との取引が増えるに従い、商品群を増やしました。経営の基本は「三方良し」。売手・買手・使い手(消費者)全て
が良い結果を得て満足する。そして商品選定の基本は、「Value for the Price」、価格に見合った価値ある商品の選択です。20年前、外車の国内価格は本国価格の約2倍でした。今は精々10%位の価格差です。ベンツの上級クラスの車やポルシェ等は、東京都内、特に港区等では本場ドイツよりよほど多く見かけます。高くても見合う価値があると評価されているです。これこそ、Value for the Priceだと思います。
 
上の下以上の商品を、中の上の価格で売る。海外の高品質の商品を、本国価格と同じレベルで提供、が基本方針。海外メーカーと価格等の条件を理詰めでハードネゴ、本国の卸価格以下で直輸入、お店へも直販し中間マージンをカット、その結果、日本の販売が本国の数倍になる商品がいくつも出現、フランスの会社企画のふわふわバターを簡単に作れるイージーバターは、日本で爆発的に売れ、本国のフランスを含め、世界中から当社に引き合いが寄せられました。ネット社会の影響です。ネット社会の影響は、マイナスの面もあります。イージーバターが大人気、商品不足なのに、インターネットの一部で希望小売価格より30%も値引されていました。そうなると、主要取引先のお店や通販会社が扱ってくれなくなり、ネット以外のお客様は商品を買えなくなります。本国より安い適正価格なのに、価格勝負をされてしまう。価格競争の元祖アメリカでもマズイと問題になっている、頭の痛い問題です。
 
価格勝負だけの商売はどこかで行き詰ると思います。ダイエー等のGMS, 家電量販、隆盛を誇った業界も今は淘汰の時代。当社は来年創立35周年を迎えますが今後も成長を続けるには、商品力が大事だと思います。水族館にいないマッサージ上手のイルカと、お得意様が素晴らしいキャッチを付けてくれ、百万個売れたハッピードルフィンマッサージャー、東日本大震災の年の防災の日に、在京TV局全局で販売されたEX.防災ロ―リングバッグ、小学館のサライ大賞を受賞したエクサイレント聴音補助器、それに前述のイージーバター等々、商品力が成長の原動力でした。
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本場エスプレッソ、ペリーニと共に素敵な雑貨を

今注力しているのはコーヒー文化と雑貨の融合。3年前にイタリア ペリーニ社の総代理店となりました。焙煎量では第4位ですが、味では一二位を争う高品質のブランド。コーヒー嫌いだった僕を60歳過ぎて、エスプレッソ好きに変身させたペリーニ。

秘密は、本場イタリアの本当の飲み方、小さなカップに砂糖をスプーン一杯入れ甘くして飲む、を発見したことです。日本人は、エスプレッソを苦くて濃いコーヒーと信じていますが、イタリアでは皆こうして甘苦いエプレッソを楽しんでいます。

この本
当のエスプレッソの飲み方を日本に普及させれば、市場のパイが増える。コーヒーが健康に良いと言われ始めています。エスプレッソを気軽に楽しめるカフェを展開し、雑貨も売る、トータルヨーロッパ文化をペリーニカフェで展開するのが夢です。ぜひ、インペリアルタワー前のカッフェペリーニをお訪ね下さい。
          2016 08 21 16.38.23

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カッフェペリーニ 日比谷店
http://www.pellini.jp/caffe_shop.html

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