株式会社ハウスクリニック
田中 利治
POSTED | 2015.11.30 Mon |
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TAGS | 従業員数:51〜100人 業種:その他 創立:15年以上 決裁者の年齢:その他 商材:BtoC |
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売上50億円!黒子に徹して業界NO1企業に
20期連続で増収増益!原状回復工事のパイオニアTopics
株式会社ハウスクリニック 社長 田中 利治氏のONLY STORY
~代表取締役社長 田中 利治様~
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1970年生まれ。
自分でものをつくって完成させる仕事』に魅力を感じ、18歳の時から職人の道に。
親方のもとで内装職人として修業を積む。その後、内装職人として会社を起業。
その後、同業であった兄の会社(現:株式会社ハウスクリニック)と合併。
内装職人出身の社長として代表取締役に就任。
今でも繁忙期は職人として活躍する現場のプロ。
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兄弟の会社が合併!社長と会長の関係に!
私は元々、働くことが大嫌いな若者でした。
電気工場の会社に勤めていた時も、ルーティン作業ばかりな中で、そもそも仕事をすることの意義を見出すことができず、正直、だらだらと働いてしまっていました。
ただ、そのような日々を送っている中で、知人から職人の仕事を紹介してもらったんです。
そこで、『自分でものをつくって完成させる』という職人の仕事内容に意義を感じ、18歳の時から内装工事の世界に飛び込み、職人として働き始めました。
結果的に、この仕事は私の性格ともすごく合っていました。自分のつくったものが、目に見える形で誰かの役に立てるということが、純粋に嬉しかったんです。こうして私は、内装職人として経験を積んでいきました。
そのような中で、私は元々独立心が強かったので、内装工事の経験をもとに、内装工事の会社を自分で起業したんです。
ただ、この私がつくった会社がハウスクリニックだと思われがちですが、実はそうではありません。ハウスクリニックという会社は、元々10歳上の兄が創業した会社なんです。
実は兄も同じ地域・同じ業態でそれぞれ会社を設立していました。同じ地域で兄弟のお客さんを奪い合うのも本質的ではないので、『それならもう一緒にやってしまおう』ということで、12年前に合併しました。
当時兄のハウスクリニックが15億ほどの売上、私の会社が7億ほどの売上だったので、合併して22億ほどの規模の会社になりました。そして兄が会長に、私が社長になり、現在の体制が確立されたのです。
そしてその後その体制で経営を続け、会社としても、そのような体制の中で、20期連続で増収増益を
続けることができました。
売上としても50億を超える規模にまで成長することができました。
原状回復工事業界のパイオニア。業界NO1の売上
弊社が、何をしている会社なのかを一言でいうと、『原状回復工事の会社』です。
原状回復工事というのは、賃貸アパートやマンション等の部屋を退去するときに、部屋を入居時の状態に戻す作業のことです。
部屋が汚かったり、壁紙が剥がれていたりすると、次の部屋に入る人が嫌がってしまい入居してくれなくなってしまいます。そこでクリーニングや壁紙の張り替えを行い、入居時の状況に戻すのです。
ただ、この原状回復、実は昔は窓口を一本化して行う仕組みが確立されていなかったんです。
というのも、当時は貸し手市場で、賃貸物件の需要が高かったため、貸す側が強気の態度をとっていました。
壁紙が剥がれていたり、部屋が汚かったりしても、それでも入居したい人がたくさんいたのです。
そのため借りる側のための、原状回復の優先順位が低く、仕組みが構築されていなかったのです。
ですが市場背景として、段々と借り手の数が減り、貸し手の数が増えて、借り手市場化が進んできました。そこで私たちが原状回復の仕組化を進めていきました。
当時はまず不動産管理会社が引っ越しの際の鍵の受け渡しなどの退去立ち会いして、その後にリフォーム会社に依頼して見積もりや原状回復工事をしてもらうという形式でした。
そのため、業務の煩雑化、情報伝達のずれが起こり、時間も手間も、コストもかかってしまっていました。
そこで私たちは、窓口の一本化を図り、スムーズな工程を実現しました。
具体的には、原状回復をするだけでなく、「退去立ち会い代行業務」をはじめました。
この業務代行により、情報伝達のずれやトラブルを防ぎ、迅速な対応ができるようになったのです。
これは今では普通のこととなっていますが、当時は革新的なやり方でした。
なので自分たちで言うのも大変恐縮ではありますが、弊社は原状回復工事業界のパイオニアであると自負しております。
雇用を生み出すために、30期で100億円規模の企業に!
私たちは、今後も原状回復業界を開拓していこうと考えております。
というのも、原状回復工事の業界は1兆円規模の市場であり、まだまだ開拓する市場があるからです。
私たちが管理会社さんの『黒子』に徹し、大家さんには満室を、入居者さんには満足出来る部屋を提供することで、もっともっと多くの人たちを幸せにすることができると考えています。
そしてその市場の中で、自社が目指す具体的な基準線として、30期で売上100億円という基準を目指しています。
ただこれは100億円の売上が目的ではありません。
目的は、雇用を生み出すことです。具体的には、現在うちで働く職人の数を700人から1400人へと、2倍に増やしたいと考えています。
私たちの仕事は、人がいてこそ成り立つ仕事です。なので私たちが仕事を増やすことで、雇用を増やすことができます。
職人の技術というのは、一度身につけてしまえば、一生自分の技術として使うことができます。実際に私自身も、今でも年に数回ほど現場に入っているのですが、やはり技術を覚えているんですよね。
なので売上を増やしていくことで、さらなる雇用を生み出し、生活に困っている人を減らすと共に、そのような人たちに手に職をつけてもらい、その人たちがずっと生活していけるような基盤をつくっていきたいと考えています。
特に若い方や障害を持っている方、シングルマザーの方々等に対して、技術を学ぶ機会を提供し、手に職をつけてもらいたいと思っています。100億円という基準は、そのための手段だと考えております。
編集=勝野・山崎