A-StarOne International株式会社
坂本 大地
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POSTED | 2018.01.05 Fri |
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TAGS | 従業員数:31〜50人 業種:卸売業・小売業 創立:5〜6年 決裁者の年齢:20代 商材:BtoC |
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壮絶な過去をから得た死生観と大きな夢。
オーダーメイドという体験を通して、誰もが夢を持って生きる世界をTopics
A-StarOne International株式会社 代表取締役社長 坂本 大地氏のONLY STORY
![](https://upload-assets.onlystory.co.jp/uploads/story_paragraph/image/332256/9532a5d4-682e-4056-bd6c-49734e417467.jpeg)
一人ひとりの人生に深く貢献できる出来る企業へ。
A-StarOneは開業数全国No.1となる
全国350ヶ所展開をするオーダースーツブランド【Noah】を軸に
7日で仕上がるフルオーダースーツのスマート生産システム【スマテック】
7日で仕上がるフルオーダースーツのスマート生産システム【スマテック】
海外デザイナー監修 日本初のラグジュアリーオーダーシューズブランド【Rio】を運営するアパレル×ITベンチャー企業です。
『誰もが夢を持ち、オンリーワンを生きる世界を創る』を理念に
オーダーメイドという概念の一般化を目指して取り組んでおります。
少数精鋭を掲げ、平均年齢の若い会社ではありますが、学生起業からスタートし本場ヨーロッパでの経験を積んだ代表を筆頭に独自のブランド戦略を用いて
・本場ヨーロッパでの経験を積み、フランスより2つの勲章を最年少授章
・メーカー売上日本一達成、JDAによる優良ビジネス認定2024GBCにおいて、最高ランクであるゴールド認定受賞。
・TV番組や各メディア出演といった業界実績を引き下げ
多くのアスリートや著名人にも愛用いただくブランドを運営しております。
企業の社会的な役割にも重きを置き、社会への還元を通して夢を繋ぐことを目指して、国内外施設や行政への支援及び、寄付といった社会貢献活動を大切にしております。
事業を運営する中で特に商品へのこだわりは強いです。
独自性のある商品やサービスにもこだわってきました。
これまで大切にされてきた技術や歴史を国内だけでなく、世界へも提供していきます。
歴史を敬い、現代に広め、未来を創る。という思いの元で背景を大切にしながらも、現代に合った形で、一人一人のお客様の個性や、意思を表現していくことを大切にしております。
この仕事は、オーダーメイドをした瞬間だけじゃなく、それを買うことを入り口に、そこから始まるパートナー関係だと思っています。
企業の売上の一部を使い、NPO法人や学校法人、行政、企業などと協力をして、野球教室を開いたり、世界大会の運営の手伝いをしたり、野球用品や洋服を児童施設や海外へ寄付をしています。
私も、メンバーひとりひとりに向き合うのにはとても熱を込めていて、個別にノートを一冊持ってその子の日記を書き留めてるくらいです。
大きな企業では経験できないような機会が詰まっていると思います。
その他には活動として、プロスポーツ選手のスポンサーも積極的に行なっています。
現在は一般社団法人全日本オーダースーツ協会の代表理事にも就任し
ブームじゃなく、文化にするために業界全体を牽引することを目指して活動しています。
正解を選ぶより、選んだ道を正解にする
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幼い頃から何でも一番になりたいという性格で、一流のスポーツ選手になることや社長になることが夢にあって、世界の誰よりも自分が輝く。ことを目指していたのかなと思います。今は世界中の誰もが輝ける。そんな世界観を目指しています。
とても生意気でガキ大将気質だったため、公立の小学校を転校しなければならないと話をされるようなどうしようもない子でした。
また、その小学生の頃から、何のために勉強するんだろう?という思いがあって、遊びややんちゃ、それと野球ばかりやっていました。なぜか道徳の授業だけは好きで、筆者がどうしてこういうことを書いたのだろう?ということを考えるのが楽しくて。昔から少し考え方は人と違い、そういう哲学的な部分はありましたね。
好きなことには打ち込む性格で、極真空手では日本一にもなりました。
人生の大きな転機は中学生の時でした。
父は地元で複数の事業を展開する経営者で、その中の一つであった児童託児所時代からの幼なじみが事故で亡くなり、
その後に私の姉が同級生の母親に車ではねられてしまいました。
そしてその後に訪れる父親の急死。震災。
幾度となく度重なる悲劇に恐怖すら覚えました。
世の中、何でも思い通りにいくと思っていましたが、大切な人が傷ついたり失われていくことで死生観というものが芽生えました。
死ぬまでにやりたいは何だろう?どうやって生きたいのだろう?ということを深く考えるようになったのと同時に、人はみないつか死を迎えるという現実を知り、生きていくことの尊さも知りました。これが今でも一番軸になってる部分です。
小学生の頃から憧れていた野球の名門高校に進学が決まっていましたが、すぐ後に父親が亡くなり、家庭が心配なこともあって勝手に辞退をしました。それを知った母親から「自分の夢は思い切り追いかけて欲しい」と言われ、埼玉県の強豪校に特待生として改めて進学。人一倍思い入れを持って入学したのですが、怪我をして思うように野球をできない苦しさやもどかしさの中で過ごし、何度も辞めようと思いまいしたが、母親やいつも支えて下さる方々をがっかりさせたくないという想いでやりきりました。結局、決勝戦での敗退により甲子園出場は叶いませんでした。
姉も専門学校を出てやりたいことがあったのですが、私が怪我の手術をしたりしてお金がかかり、母親も一人になってしまうので、姉はそれを諦めて地元に残って現場仕事をし、夜は居酒屋で働きました。事務職やパートよりよい給料がもらえるので。疲れるし汚れるし、とても大変だったと思いますが、家族を思って姉がそういった決断をしたというのは、私にとって大きな力と覚悟に繋がりました。
母が昼夜問わず働き続けてくれることも、当時は申し訳ない、もっといい夢を見せたいと感じていましたが、いつもありがとうと必ず返してくれる母に自分も一生ありがとうを返す生き方をしていくと心に決めました。
“最後まで野球をやりきった後、自分はどう恩を返して生きていけるだろう。世の中に何を残せるだろう。
ということを考えに考え、その答えが、起業することでした。世の中の多くの人が必要とするサービスをつくる。
自分の想いから始まったサービス、集まった仲間。それが大きくなっていくことで自分が死んでも生きた証を残し、そして魂が生き続ける。100年後200年後自分の思い描く世の中になっていったらいい。そう思うようになりました。
こうして野球での怪我や家庭環境など、自分だから伝えられることを事業やサービスにしようと、高校3年生の時に起業を決意。
高校卒業後、東洋大学に入学。
勉強には縁がない人生だったためにこの大学入試が人生で1番というほど必死になりました。卒業までの間は日雇いのアルバイトを繰り返して上京資金を貯めました。
一年以上は家族に負担をかけないため、全て自分でやりくりをして、アルバイトで20万円近くを稼ぐアルバイト漬けの日々を過ごし、本当に苦しい生活でした。
通学は歩きで、ご飯は白米だけを塩コショウと醤油で炒める疑似チャーハンというような日々があったりして。
その現状を変えるため先に取り組んだのは、
ソフトバンク系列の営業系インターンでトップになったことや、500人規模のイベントを開催といったこと。色々なことに挑戦する中で、今の仕事に出会いました。
お客さんと1対1で向き合えること、お客様が来た時と帰る時の表情が変わること。スーツを着た時の表情に直に触れられることがとても楽しくて、オーダーメイドという概念の素晴らしさに気づき、オーダーメイドという概念を、世の中に、人の生き方の中に作っていきたいと思うようになり、この事業を独立させ法人化します。
始めはお金もなく、ヒッチハイクで全国各地を回りました。
その後、言葉も分からずに海外へ行き東南アジアから本場ヨーロッパまで渡り歩き、スーツの聖地であるロンドン・サヴィルロウでも経験を積みました。
始めはお金もなく、ヒッチハイクで全国各地を回りました。
その後、言葉も分からずに海外へ行き東南アジアから本場ヨーロッパまで渡り歩き、スーツの聖地であるロンドン・サヴィルロウでも経験を積みました。
この時代だからこそ見失ってしまう本当に大切なこと。はたくさんあると思います。
最初はみんなデコボコで生まれますが、世の中で生きていくためにはきれいな丸になって、そのレールで転がっていかなくてはなりません。その中で削ってきてしまった、本当は持っていた自分らしさや、当たり前のようにある人の大切さに、気づかなくてはいけないと思うんです。それに気づけると、そこには絶対“愛”があります。家族だったり、友達だったり、恋人だったり。その愛という言葉を本当の意味で気づくと次は“感謝”になります。その感謝から生まれるのが“夢”なんです。
自分にとって本当に大切な事→愛→感謝→返したい気持ち→夢というサイクルがあると思っています。
でも、大切な人が死ななきゃ気づけないとか、夢が強制的に追えなくなる環境にならないと気づけないとなると、それってとても悲しいこと。
であれば、私のような経験をした人間がみんなに伝えていけばいい。
過去は過去、終わったもの。未来は未来、いつか来るもの。全てを点で捉えてしまいますが、本当は全て線でつながっています。
点を線につなぎあわせてあげて、それをシューズやスーツとして形として残していくことで一人ひとりの人生に深く貢献していきたいんです。
「坂本さんに出会った日から、この会社に出会った日から、何かが変わった!
あの日が僕の2つ目のきっかけです。」そう言ってもらえるような会社を目指しています。
世の中に伝えたいことがたくさんあって、その手段として起業があります。
「誰もが夢を持ち、OnlyOneを生きる世界を創る」
経済的に貧しい国で幼い頃から家族のために働かなきゃいけないような子供たち、満員電車に揺られる会社員の方でも、全ての人が自分という人生の主人公を生きてその人なりの夢を持って、自分らしく生きるような世界を作りたいと思っています。
夢というのは職業じゃなくて、どう生きていくのかという“生き方”。
夢を叶えるのはもちろん大切ですが、夢を持つことのほうが大切で、大きな夢を持ってそれに向かっていく中の選択一つひとつが人生を創るのだと思います。
私自身、夢というのがなかったら今の自分は無かったと思うくらいなんで。
人に夢を見せられる人間になりたいという想いはとても強く、それが、弊社の軸になっています。
夢を追い続ける企業であるために。
今はテクノロジーが進化して、便利なサービスがどんどん生まれています。しかし、だからこそ失われていることあると思うんです。だから私は、この時代だからこそなくてはいけないサービスが必要だと。便利なものよりも人の心と心のつながり、ブームよりも、文化を守れる会社を目指しています。
良くなっていくことは優秀な方々がやってくれますから
その中で私のような情熱タイプの人間は、なくてはならない。
というサービスや文化を守っていきたいです。
私もいつかは死にます。坂本大地という人間として生きても長くても約80年で、おそらく志半ばで死んでしまうんです。
それが会社を、事業を作ることで、同士がたくさん増え、自分や仲間たちから生まれたサービスはが、100年、200年、そしてその先まで続いていくかもしれません。
そしていつか、自分たちの夢が叶い、自分が夢の始まりになれていれば、こんな嬉しいことはないですね。
急加速する全国展開
![](https://upload-assets.onlystory.co.jp/uploads/story_paragraph/image/332261/0d4af2bc-4cb1-4d28-bf3d-fc5d36faeba2.jpeg)
弊社の店舗展開ではオリジナルのフランチャイズ制度を導入しています。このモデルは弊社完全バックアップのもと、ご自身のオーダースーツブランドの開業をしていただくものであり、全額返金保証や経営全般のバックアップもついていることが特徴です。スーツは、本場ヨーロッパで研修を積んだ技術をもとにした、弊社独自のハイブリットオーダーという縫製技術により、高品質を低価格・短納期にすることを特徴としていて、アスリートを始めとする著名人の方々にもご愛用いただいています。
この制度により
・起業や自分のブランドを立ち上がることのハードルを下げ、夢の実現に向かう人を増やす
・自身が0から積み上げた経験やノウハウを余すことなく還元する事ができる。
・オーダースーツ業界の課題にアプローチできる。
これらを実現できた事が急速な全国展開の要因となっていると感じます。
全国に一流のオーダースーツ 屋さんを輩出することで
オーダーメイドの一般化を目指し続けていきます。
ラグジュアリーオーダーシューズ
![](https://upload-assets.onlystory.co.jp/uploads/story_paragraph/image/332258/3484f21e-9e7a-4aed-86b4-9c68a28a9d26.jpeg)
『全ての人生において、主役は必ず自分自身』
これは私達が大切にしている
理念です。
こだわりを大切に、自分という物語を形にする。
そんな瞬間を一緒に作りたい。
その想いから全てが始まりました。
オーダーメイドの一般化を掲げ、
私たちはオーダースーツブランドを展開してきました。
オフィスもなかった創業当初から皆様に支えていただき続けて
本場ヨーロッパでの研修や勉強を重ね、メディア出演や勲章の授章を経て、数々の実績を収めてまいりました。
オーダーメイドは、特別な人がするもので、なにかと高級なイメージがある。
このイメージは、オーダースーツにおいては払拭されつつあり
現代では、既製品のスーツと変わらぬ値段で、その人の理想をカスタマイズするオーダースーツが
多くの人の手に届くような時代になりました。
では、オーダーシューズはなぜ広まらないのか。
実際にお客様からも要望が多く顧客向けに行うアンケートでも
オーダーシューズのリリースを求める声が多くありました。
その中でも多かったのは
・ヨーロッパのシューズはデザインが良いが日本人の足に合わず履きにくい。
・足のサイズが大きく、
既製品ではサイズがない。サイズがあるかどうかで革靴を選んでいた。
・ハイブランド製品は価格が高く、手作りのフルオーダーでは品質は確かだが、価格も高い上に納期が長い。
こうした意見を踏まえて
『日本にラグジュアリーオーダーシューズブランドを誕生させる』そう決めました。
それも、既製品と変わらぬ低価格で多くの人に喜んで貰える商品をつくること。
欧州デザインを日本人の足に合わせ、大きなサイズにも対応する。
レザーや染色にもこだわりながら
最高峰品質を目指して低価格で。
こんな無謀に思える挑戦を決めました。
オーダースーツで本場から途上国まで、各地で思考、技術、生地それらを学び、独自のスタイルを確立した私は、靴でも同様に世界各国へ勉強に行き、各地で靴を買ってみるところから
始めました。
日本でも数々の企業や工場を周り、本当に納得のいく商品を実現させるには、5年を超える歳月がかかりました。
本当はもっと早くリリースをしたかった気持ちですが、品質や個性を体現する、というこだわりだけは譲れませんでした。
そんな昨年に新型コロナウイルスの感染拡大が起きました。
各業界に大ダメージが発生。当然、靴業界にも大打撃となり
素材卸、職人、メーカー、小売たくさんの人が苦しんでいる現状でした。
この業界を救うためにも。その一心で追い求めた進めた開発は、1人の男性との出会いで大きく変わりました。
私達と同じ5年以上の歳月をかけて世界を代表するブランドの革靴の研究に没頭し、世界最高峰の靴を追求してきたパートナーと出会い今日に至るまで、全身全霊をかけて準備をして参りました。これまで何度も何度も試作を重ね、やっと出来上がった作品は、アスリートや経営者を対象として顧客向けに行ったプレリリースにて、プロアスリートや本場のデザイナーからも絶賛をいただきました。
また、価格を抑えるためにも思考を張り巡らせ、あらゆる手段を考えた上でやっとの思いで最善策を実行に成功。
世界レベルの染色技術と欧州産高級レザーの使用を妥協する事なく、実現致しました。
そうして出来上がったブランドは
フランス奨励勲章 授章やプレスリリースでの絶賛
世界最高峰の技術とこだわりを引き下げ、世界が認めた
日本初のラグジュアリーオーダーシューズブランド『Rio』として待望のデビューを果たしました。
光栄にも注目度は高く、コレクションやメディアへの出演
更には全国10店舗の展開が既に計画されています。
業界を照らすブランドへ。日本を代表するブランドへ。
オーダーシューズが一般化する未来へ。
向かって進んでいきます。
最後に。
ある東南アジアの国へ出張へ行った際。
その国では多くの子供達が靴を履いていませんでした。
いつかこのシューズブランドが今、靴を知らない子供達にも履いてもらえるように。
私たちは皆様からのいただいた売上の一部を通して国内外の
各施設へ運動靴をお届けします。
【あなたの一足が、子供達の夢に】
※弊社では創業以来、諸外国や国内行政への寄付活動を通して
社会への還元と貢献をテーマに活動を行なっております。
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